12月17日(土)。5組6人が参加して、05年の「畑納め」の作業をしました。八郷の畑も周りの田圃や桑畑も遠く仰ぐ筑波の山々も冬枯れの静かな佇まいです。土日ファームは、それでも冬野菜のキャベツやハクサイ、ホウレンソウなどが緑の葉を茂らせ、そこだけぽっと明かりが灯ったような、心ほっくりの風景も見せています。畑の一角にはソラマメの小さな苗が100本ばかり、円筒の紙の輪っかで保護され、根付いています。残り半分は更地。地面が黒い肌をさらしています。その上を木枯らしが吹きぬけ、身体が冷え込みます。
作業は、ソラマメの畦に、半円の支柱をかけ、その上を寒冷紗という防風ネットで覆うことからスタート。 次いで、ヤーコンのコーナーの掘り残したヤーコン掘りです。20本も掘り、まだ100本ばかりを残し越冬させることにしました。ヤーコンは1本に10個から20個も芋を付けていて大豊作。2ヶ月も前から掘っていますが、新しく掘ったものの方が甘いのはなぜなのだろう、などと話しながら、作業を進めます。畑の隅に1メートルほど穴を掘り、根の中心に付いている親芋を来年つくる苗の種芋として保存するため、穴に埋めました。
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ソラマメに寒冷紗をかけた冬の畑。
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ヤーコンは大豊作。一部は越冬です。
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11時ごろ、永瀬師匠が「これこれ」と言ってコップで酒でも飲みほす仕草をしながら、鍋を抱えて門口から出てこられました。仕草ですぐ分りました。「甘酒だな」って。ボクが大声をかけると、思い思いの作業をしていたメンバーが、朝一番で火を起こして薬缶をかけておいた鉄板の火器セットの所に集まってきました。熱々の甘酒を、火器を囲んでみんなでいただきます。麹の香りの立つ甘酒をふうふう言って貪り飲みました。身体が暖まり、しゃきっとしてきます。糖分のせいでしょう。永瀬師匠は、年齢とともに甘酒などはかなり甘好みになったのでは、といった指摘が細君からありました。師匠の優しさの表れかも、とボクは思ったものでした。寒風の中に甘酒を運んで下さる師匠の心根を思わないではおられません。
一息入れたあと、そんな地主さんの優しさに応えようと、何人かのメンバーが永瀬さんの畑作業の手伝いを始めました。土日ファームに隣接する梨畑の梨の木100数十本を永瀬さんが伐採したのを、燃やして片付ける作業です。高さ1メートルほどに伐採された梨の木群が無残です。火の中に永瀬さんも切った木をくべます。悲しいですねえ、と声をかけると、「うん、寂しい。悲しいよ」とボソっと答えました。「でも、身体が言うこと聞かなくなってきたからねえ。人を雇わなくて自分1人でやれる面積にしたんだ」と。永瀬さん、70歳半ば。残る梨畑60アール。お付き合いを始めた11年前には、100アールの美しい梨畑でした。時が経ち、己の肉体の衰えを知り、戦線縮小・身辺整理を始められた師匠の、厳しい人生を見る思いでした。その覚悟が、いかにも潔く、それだけになんとも切ない気持ちになりました。
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梨の木の残骸の中で、切った木を燃やす。
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熱々の甘酒の差し入れをいただく。
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午後、ボクらが農機具置き場などに借りている裏庭の小屋の中と、その隣りのビニールハウスの中のガラクタの整理をしました。10年ぶりの大掃除と言っていいくらい徹底して行い、見違えるばかりにしました。これで来年初にビニールハウスを畑へ移設し、ビニールハウス2棟体制をつくる準備も整いました。男組の力仕事の一方で、細君が1人で野菜の収穫をしていました。ダイコン、聖護院大根、ニンジン、ハクサイ、ホウレンソウ、ネギなどを、正月用にもしようという分まで抜き、5家族分をキレイに分けてくれていました。午後3時。2人が忘年会などのために引き上げ、残り組が5時、夕暮れごろまでかかって片づけを完了しました。05年の畑納めが、これで無事終了です。
「良い年をー」。「良い年をー」。車窓から叫び合う声が枯れ野に尾を引いて行きました。
(12月18日 宮崎記す)
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