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いなか e-hanashi

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地主さんのこと
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もみ発芽玄米の製法で特許を取ったお百姓さん

 
<2> もみ発芽玄米の製法で特許を取ったお百姓さん

秋田県大潟村の農家、井出教義さんの話をします。大潟村はご存知、かつての八郎潟を埋め立てて水田を造成した一大稲作地帯です。井出さんは1974年に福岡県から入植し、いま約20ヘクタールの水田を耕作しています。古くから有機農業に着目し、水田の雑草が伸びる夏には、毎日大勢の人手を入れて雑草を取るという、農薬を使わない農法を数ヘクタールの水田で実施しているというので、10数年前、取材に行ったことがあります。以来、農業団体の会議などで井出さんが上京される際に毎年1、2回会って情報交換していますが、今年1月、特許を取ったという凄い話を聞いたのです。

特許は、もみを殻付きのまま発芽させ、そのあとで殻を取って商品にする(食する)という「もみ発芽玄米」の製法。2003年9月に、特許認定がおりたばかりというアツアツの技術です。発芽玄米というすでによく知られた”健康米”があり、これはもみ殻を取った玄米を発芽させるもので、二つは根っこは同じですが、もみ発芽玄米の方が、「γ(ガンマ)アミノ酪酸」とう物質の含有量が、発芽玄米の2倍多く、白米よりは20倍も多いのだそうです。健康米と呼ぶに相応しく、これが特許の決め手だったわけです。γアミノ酪酸は、「血圧や体内の中性脂肪を下げたり、脳の疲労を回復させる働きがある」とされます。そして、もみの中で生息する微生物が、白米部分を再生産するのに必要な成分として発芽の過程で、γアミノ酪酸を生成するのだそうです。

井出さんは、もみ殻を発酵(分解)させ、有機農業のための資材として利用していますが、もみ殻が、外界の気温や湿潤の変化に強い抵抗性をもち、それでも野外で醗酵させると、もみ殻の中にいる微生物の働きで2、3年がかりでじわっと分解される点に注目、γアミノ酪酸をより多く生成させるためには、もみ殻が付いたまま発芽させた方が良いのではないか、と発想したのです。7年前のことでした。それから3年、2000年には第一次製法を完成させ、特許申請をしました。

製法は・・・・・・もみを1〜2日間、水に浸し、水温32度のぬるま湯を循環させて発芽させたあと、冷却→脱水→乾燥→もみすり(製造)という順序。発芽後、3日以内に製造するのがよく、γアミノ酪酸の含有量(生成)が最も多く、同時に微生物の異常増殖もないのだそうです。ここまでたどり着く苦労はどんなだったでしょう? 研究者の手助けも受けつつ試行錯誤(try&error )の繰り返し。何とかして米に付加価値をつけたいとの一心で、学者顔負けの粘り強さで前進してきたのです。特許申請は、2度も撥ねつけられましたが、最後は、もみ発芽玄米がどれほど国民の健康に寄与し、もしこの特許を外国に押さえられたら、その損失は計り知れない−−と、コンセプト欄に書き込んだのだそうです。一農民のひたむきな心情の吐露が、ワザあり!を生んだのですね。

井出さんのもみ発芽玄米(有機米)は、小売で1キロ1000円だそうです。スーパーの標準的な白米のざっと2倍です。60キロ(1俵)で6万円。加工しないで玄米で売れば、標準的な米で1俵2万円という時代にあって、これなら生産者もまずまず納得という価格のようです。付加価値を高めて売りたいという井出さんの執念が実ったのです。いま1か月の、もみ発芽玄米の出荷量は4トン。6トンが当面の目標といいます。各地の学校給食などでも注目されだしたとか。スーパーでは、首都圏で200店舗を展開する「マルエツ」で販売しているそうで、ボクも早く試してみたいと思っています。試食の結果は改めてレポートします。

いなかe-hanashi のメニューにこれを収録しましたが、発明にはいなかも都会もありません。否、農村でこそ発明される技術やアイディアがこれから増えるのではないでしょうか。
60歳半ば過ぎ、白髪お百姓さんの井出さんは、研究者の魂を内に秘めた、土のにおいのする素朴で人間味あふれたお百姓さんです。そんないい人の、エキサイティングなハナシを紹介しました。

(04年3月2日宮崎記す)

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<1> 地主さんのこと

永瀬二郎さん。八郷町の現役の梨農家。かつ土日農研のみんなのもっとも長いお付き合いの地主さん。
義理堅く人情味豊か。これからはもう現れないであろう、とてつもない大きな心と素朴さをもったお百姓さん。

10年前、ボクが八郷町にワラジを脱ぎ(?)、”通いの土日農業”を始めたとき、昼飯のあと「田圃ブラ」をしていたとき出くわしたのが、ちょうど自分の田圃で稲の草取り作業をしていた永瀬さんでした。
しばし顔を見あわしたあと、「何してんの?」と声を掛けて下さったのでした。「ヤル気なら、俺の梨園の隣りの畑も耕していいよ」と 6アールほどの畑を、タダで貸していただくことになりました。
95年の夏、 この畑 A にソバを植え、永瀬さんとのお付き合いが本格スタートしたのでした。 

畑 A に続き、翌年から自分の屋敷のすぐ下の畑 B も、ここはサトイモの適地だからと貸していただき、04年からは、老化した梨を切り倒した畑20アールを、これまたタダで貸していただくことになりました。
われわれはお金を出し惜しみしようなどとは思わず、かつて何度も地代をもっていったのですが、断固として受け取ってもらえませんでした。
1ヘクタールもの梨園で十分に儲かっているから? いいえ、違うでしょう。
遠くからわざわざ通うわれわれへの気遣い? それも違うでしょう。
しいて言えば、われわれが一生懸命に農業に打ち込んでいる姿、農業を楽しんでいる姿、技を学びたくて永瀬さんに栽培法を教えてもらう真面目な姿、これに永瀬さんの百姓魂が共鳴してのことかな、とボクはそのように思っています。

ボクらの一生懸命の姿勢は永瀬さんの梨作りの姿勢にそっくり通じている、というのがボクの観察です。
いや、一生懸命といっても、ボクらは同時に遊び心も大事にし、農作業を楽しもうというスタンスでやっていますが、 永瀬さんは、その雰囲気も感じ取り、ひょっとしたら微笑ましくボクらを受容して下さっているのではないか、ボクにはそう思えるのです。

梨作り 40年。有機農業を古くから重視し、農薬もできるだけ少なくし、甘くておいしい最高の梨を目指し あくなき研究実践を重ねてきた永瀬さんは、押しも押されもせぬ梨博士です。
梨の木の生態を知悉し、どうすればいい梨ができるか、どうすれば気候の変化に梨の木を最も良く適応させられるか、その処方を体で覚えているのです。
梨の前には、ほとんどの野菜作りを体験し、同じように各野菜の栽培法も完璧なまでに習得しています。それらはどれも実践的で科学的、かつ合理的です。恐るべきお百姓さん、というべきです。
素人の土日ファーマーにもそのことが分かりますから、ボクらは分からないところがあると、声をかけては真摯に永瀬さんに教えを乞うてきました。

永瀬さんは、ボクらにとっては、そうした意味の師匠です。畏怖すべき存在だとボクは思っています。
今日、こうした人がどれだけボクらの周りにいるでしょう。まったく稀有な存在というべきです。
ありがたくてありがたくて仕方ありません。ボクは、この 10年、八郷に出動するたび、必ず永瀬さんにお礼のハガキを出し続けてきました。

70歳を越えた永瀬さんは、さすがに腰が痛いなどと口にするようになりましたが、同じ年のお百姓さんと比べると、圧倒的に元気です。
若くして奥さんをガンで失くし娘さん二人を男手一つで育てられ、一人暮らしを貫いておられる生き方は、あまりに激しく厳しく、われら凡夫の理解を超えています。“「農」を追求する孤高のお百姓さん”と言ったら、言いすぎでしょうか。

去る2月8日の初出動の日、梨の枝を横に曲げる結束作業をしていた永瀬さん。
しばらく立ち話をし、年齢のことに話が及んだとき、ポツリとこう言われました。
夫婦どちらかが若くして逝ってしまうと、残された方は、連れ合いの分まで生きようとするんだろうね、凄く長生きするって言うよね、と。
ボクは思いました。永瀬さん、気力充実だな。大丈夫、まだまだ現役で頑張られるな、と。
さらに凡夫は思いました。われわれ、まだ永瀬さんからいろんなことを教えてもらえるんだ、と。

長い話になりました。素晴らしい、いなかの一人のお百姓さんの生き様を聞いていただきました。

(04年2月10日 宮崎記す)

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