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作業日誌

10月28日
小屋の棟上完了
10月21日
2週連続の作業でクラブハウス立ち上がる
10月14日
天高く24人が大集合

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■10月28日 小屋の棟上完了

10月最終週の土曜日。7組13人が出動し、良い汗を流しました。2週前から続けている小屋の移築作業ですが、この日、無事、棟上が完了しました。以上は麻賀リーダーからの即日の報告。小生は欠席でしたが、快挙を静かに喜びました。そうしたら翌日、会のアイドル・武資君と怜子ちゃまが裕子お母さんと出動したというメールが、写真と一緒に届いたではありませんか。素晴らしい写真に、再び大喜びしました。写真は、兄妹が大きなサトイモの葉っぱで戯れるところ、武資君が、わが頼もしい畑先輩となった吉田大士郎君・雄大君兄弟と遊ぶところ、それに棟上完了の小屋の写真でした。

それともう一点。ここで発信したい最大のことですが、この日の矢作親子3人の出動は、武資君のたっての願いで実現したのだそうです。お父さんが金曜日に帰る予定の出張から帰れず、この日朝、母子は畑を諦めていたところ、武資君が9時半ごろになり朝食を摂りながら「畑へ行きたいヨー」と泣き出したそうです。畑で頭がいっぱいだったんですね。朝食を摂りながら畑での昼食も頭をよぎったのかもしれませんね。いじらしいですねえ。素晴らしい!!
これぁ、書かずにおれないと思わされました。・・・裕子お母さん、そこで「じゃ5分で食事して出かけよう」と。武資君、もう有頂天、欣喜雀躍。目にも止まらぬ早業で食事を終わり(怜子ちゃまもそうっだたのでしょう、きっと)、ほどなく一家は車で大宮の家を出たそうです。お母さん、ほんとうに舵取り上手です。
子供は風の子・畑の子! 子供たちの自然の遊び・自然な遊びを、ささ、ご覧下さい。棟上完了の小屋の写真も。

棟上作業開始。横長の超重たい梁を上げています。 吉田君兄弟とすっかり仲良しになった武資君(左)。
棟上作業開始。横長の超重たい梁を上げています。
吉田君兄弟とすっかり仲良しになった武資君(左)。
   
田圃で泥まみれの武資君、タオルフンドシ?で遊ぶ。 サトイモ畑は、恰好の遊び場。
田圃で泥まみれの武資君、タオルフンドシ?で遊ぶ。
サトイモ畑は、恰好の遊び場。
これだから、家になどいられない!
   
無事、棟上げ完了を喜ぶ。 上出来、この大根のように、って?
無事、棟上げ完了を喜ぶ。
上出来、この大根のように、って?

(11月1日 宮崎記す)

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■10月21日 2週連続の作業でクラブハウス立ち上がる

10月21日。前週の土曜日に続いて、永瀬さんの小屋の移築作業を中心に作業プランを立てました。ワクワクしながら、5家族10人が集まりました。前週、小屋の構造のスケッチをし、構造図を描いて移築に備える仕事をしてくれた若手のメンバー勝海さんは、仕事のため涙を飲んで欠席。でも家で描いた精密な構造図を仲間にメールして後を託す涙ぐましいフォローぶりでした。まずはその構造図と、別につくって送ってくれた室内のレイアウト図面をお見せします。見ているだけで楽しくなります!

勝海さん作成。小屋側面の構造図の一部。 同左。室内のレイアウト案の一部。
勝海さん作成。小屋側面の構造図の一部。
同左。室内のレイアウト案の一部。

この日の出動は、麻賀さん、川村さん夫妻、親子3代の吉田さん一家4人、若月さん、宮崎夫妻。前週からすると半数の出動でしたが、みんなの思いを乗せた移築作業は、師匠永瀬さんが終日、棟梁を務めて下さり、この日、解体〜棟上げまで見事に進みました。怪我のないよう、みんなで声を掛け合い、カバーし合いながら、大きな梁や柱や丸太を外し、2、3人で肩でかついで運搬し、次にそれらを組み立てる作業です。埃まみれで、なかなかの重労働。でも、だからこそ心を一つにすることなしには成し得ない、今どきめったに出会えない貴重な体験でした。

屋根の上部から梁・柱を外す。 声をかけ合いながら最大注意で作業する。
屋根の上部から梁・柱を外す。
声をかけ合いながら最大注意で作業する。

夕方、半再生の小屋を背に記念撮影し、みんなで喜び合いました。それは過酷な労働を成し遂げたことに対する労わり合いであり、さらには連帯すことの嬉しさ・心地よさの確認でありました。デジカメのシャッターを押しつつ、筆者、実に清清しい気分に浸ったものです。みなさん、本当にご苦労さまでした。11〜12月に完成するわれらのクラブハウスを見ていると、ああしよう、こうしようという思いが駆け巡ります。4度目となるリユースの小屋ですが、こんなちっぽけな小屋に、そして小さな人の営みに、確かな夢があることを実感させられるのが不思議です。小屋よ、ありがとう。

永瀬棟梁を中心に再建の作業。 夕方、仮の棟上が完了、記念撮影。
永瀬棟梁を中心に再建の作業。
夕方、仮の棟上が完了、記念撮影。

昼食後、一休みして直ぐに、そして3時のオヤツのあとも直ぐに、畑の収穫作業をみんなでやりました。小屋作業の合間を縫ってやろうというわけです。ショウガの種を採る、残った最後の1列の収穫は、あまりの出来の良さにみんなで改めて驚き大喜びしました。そしてざっと10〜20kgを来年の種として、師匠永瀬さんの保存用横穴に一緒に埋めさせてもらいました。今年の買い種が2kg。すでに数列を収穫し賞味してきた上での、今年に5〜10倍する種のストックなのです。ショウガの種の高価さから言って凄いことです。農作物のもつ凄い力でもあります。

来年用の種ショウガ。 大豊作のショウガの収穫。
来年用の種ショウガ。
大豊作のショウガの収穫。
   
背丈以上に伸びたサトイモの収穫。 「よく出来た」と師匠(左端)からお褒めの言葉。
背丈以上に伸びたサトイモの収穫。
「よく出来た」と師匠(左端)からお褒めの言葉。

自作の収穫物を来年の種に回す代表作物はサトイモ。12年前に種芋を1度買ったきりです。そのサトイモが今年は大豊作で、この日、2度目の試し掘り。1株に、小芋が20個も付いています。吉田家の大士郎君、雄大君の兄弟も手伝いワイワイ言いながらみんなで収穫しました。次週、次々週あたりが収穫のピークでしょう。続いて、落花生の収穫です。吉田兄弟に聞くと、落花生が土中にあの殻(実)を付けているのをちゃんと知っていて、堀上げた茎をもって撮影に応じてくれました。でも、この落花生、タイムラグを置いて遅く種植えしたもので、収穫は貧弱でした。

タイムラグをおいて作った落花生の収穫。 吉田兄弟、落花生を掘る。
タイムラグをおいて作った落花生の収穫。
吉田兄弟、落花生を掘る。

吉田兄弟は、小屋の作業がこの日は危険だというので、それこそ1日中、2人で広い広い畑を駆け回り、カエルをつかまえたりヘビの抜け殻を拾ったりして、自然児となって遊んでいました。年内の手隙の日、宮崎さんと竹とんぼ・竹馬づくりを必ずやろうね。待っていて下さい。兄弟の遊び場、土日ファームのいつものアングルの全景を最後にお目にかけます。

近くの畑で通いの専業農業に転じたメンバーの木村さんが夕刻、小屋移築の成り行きを気にして立ち寄ってくれました。「昼間から槌音がしてた。頑張ってるなって思っていたら、ここまで出来たんだ」と驚いていました。永瀬さんを交え、暗くなるまでクラブハウスの利用などについて立ち話で夢語りしました。

土日ファームの秋のたたずまい。 同左。最奥の土日ファーム。写真中程はソバ。
土日ファームの秋のたたずまい。
同左。最奥の土日ファーム。写真中程はソバ。

帰り際、わが妻が永瀬さんに「今日はお疲れでしたね」と声をかけたそうです。「んん、今日は疲れた」と珍しく本音を吐かれた由。さもありなん。解体するも組み立てるも、バール・ハンマーを片手にがんがん作業する70ン歳は、正直われらの倍の力・倍のスピードでしたから。50年も農業に打ち込んできた人の「力と技と根性」を思わずにはいられません。最後にこの日のオチを。勝海さんのあの構造図、実はあれがムダになったのです。朝7時半にボクが到着したとき、永瀬さんはすでに裸屋根の上。天辺の柱を全部解体し終わり、われらの目論見、再ナンバーリングは不要でした。さらに後に解体する予定だった側壁の構造物も、壁面のままで運ぶように言われ、こちらもナンバーリングは無意味に。勝海さんに悪いことをしましたが、これは老農夫の「知恵」ともいうべき面でしょうか。究極の仕事というしかないと思いました。永瀬さんにお別れする際、最後まで残った数人が師匠に向け、声を張り上げました。「ありがとうございましたぁ」と。その声が、真っ暗闇の畑に吸い込まれていきました。

(10月23日 宮崎記す)

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■10月14日 天高く24人が大集合

10月14日。爽やかな秋日和の下、八郷農場に12家族24人が勢ぞろいしました。サツマイモ堀りと、地主さんの小屋の移築がこの日のメインの作業。子供たちも5人も来て、広い畑を思いっきり飛び回っていました。土と戯れ、虫と遊び、風を感じ、自然に溶け込む子供たちの姿は、生き生きと輝いていました。大人たちも精一杯自己を開放したのは言うまでもありません。10・14。最高に素敵な1日でした。土日農研12年の歴史の中でも、最も思い出深い最良の日となりました。

虫が大好きな吉田兄弟 吉田兄弟の感化であっという間に虫好きになった武資君
虫が大好きな吉田兄弟
吉田兄弟の感化であっという間に虫好きになった武資君

小屋の移築と言うのは、われらの師匠で地主の永瀬さんが、見晴らしのよい今の小屋の場所に娘さん一家の別荘を新築するので壊される運命にあったのを、まだ丈夫なのでわれわれの休憩所にでも建て直したらどうかとご提案いただき、二つ返事でお受けすることにしたものです。移築先は、現在地より一段低いわれわれが借りている畑の隅で、この日は小屋の屋根をはぎ、腰板をはずし、家の骨格が露わになるところまで作業しました。

小屋の移築はエキサイティング、子供たちも手伝う なんでもやってみたい武資君も板の片づけを手伝う
小屋の移築はエキサイティング、子供たちも手伝う
なんでもやってみたい武資君も板の片づけを手伝う

小屋は、戦後まもなくこの地に入植し、原野を開墾しつつ農業に打ち込んできた永瀬さんの、語り尽くせぬ苦楽の思い出の詰まった宝物のようなものです。昭和33年までは電気がなく蝋燭の生活だったそうですし、農業が少しずつ様になるにつれプレハブ小屋を建てるなどして、この小屋、これまで3回も移築したそうです。「引き倒せば一発だけどね」とボクに話しつつ、この日の作業をずっと眺めていた永瀬さんの顔には、得もいえぬほっとした安堵感が広がっていました。
君よ、延命おめでとう。ボクは小屋にそう語りかけ、「汗ながせ土日ハウス」と思いついた名前の案を永瀬師匠に話したものでした。すぐ分かってもらえ、師匠、嬉しそうでした。

土日農場は、何と言っても自由な出動、自由な労働が合言葉。吉田さんは娘さん夫妻と小5と小2の二人のお孫さんを伴い、7時すぎに到着し、まずは草取りをするといういつもの早出パターン。集合目標の9時前後にみんなが続々到着、9時半ごろに12組のメンバーが勢揃いしたのでした。この4、5年来なかったことです。前にも書いたように都市民の農業体験・田舎暮らし志向が、特に家族での自然希求が強まっている現われかと思われます。

地主さんの梨畑で落下したナシを拾って、怜子ちゃま 洞穴が大好きの子供たち
地主さんの梨畑で落下したナシを拾って、怜子ちゃま
洞穴が大好きの子供たち

吉田兄弟は保護者の学校参観だったのに、それを蹴ってやってきたそうで「昨日、参観してもらったから今日は畑」とあっけらかんとしていました。はっきりした自己主張に一瞬どきりとしましたが、両親を説得して(先生の許可も得て)のことのようで、おじさんファーマーたちから「いいぞ、いいぞ」の声が上がりました。矢作武資くん(5歳)怜子ちゃん(2歳)兄妹と吉田兄弟はこの日で2度目の顔合わせ。すぐに打ち解け畑を走り回り虫を捕まえたり、洞穴(生姜保存のため永瀬さんが掘った穴)に一緒にもぐったりしていました。

賑やかな、のどかな昼食風景 こうして「家族」ができていくんですね(矢作一家)
賑やかな、のどかな昼食風景
こうして「家族」ができていくんですね(矢作一家)

もう一人、川村さんの甥ホロイワ幸宏くんは小学4年生で、初参加。ホロって、母の下に衣って書くあれ? とボクが言って挨拶を交わしました。農作業が好きなようで、ニンニクの種植えを麻賀リーダーらと一緒に勇んでやっていました。帰る前にまた来たいかと尋ねると、期待通り「また来ます」と力強く。彼らを惹きつけるのは畑の何なのでしょう? じっくり彼らと付き合って見極めたいと思っています。いや、そもそもボクは「子供は風の子、畑の子」と思っているのですけど。この日のメーン作業、イモ堀り一つを見ても、子供たちの楽しそうな姿といったらありません。収穫はやはり格別なのです。

麻賀さん、叔父叔母さんと作業するホロイワ君 同左
麻賀さん、叔父叔母さんと作業するホロイワ君
同左

正午。お昼にしました。吉田さん、勝海さん、川村さんら女性軍が仮設のかまどで火を起こし、ダッチオーブンで焼きイモを作り、BBQセットに炭を起こし、焼肉・焼きそばを作ったのです。「できましたあ」の声で、みんなが一斉に昼食場に集まってきてパクつきました。吉田さんが家でつくってきた豚汁も温まっています。畑で採ったサトイモ、サツマイモが入った特製とあって、見る見る大鍋が空きました。サツマ入りとは乙ですね。八郷に移住した土日メンバーの宮本さんからの差し入れ・ゆで落花生にもみんなの手が伸びました。ゴッツァンです。昼食後みんなで記念撮影。背景のつくば連山が秋空にくっきりとして綺麗(錦秋の彩りにはもう少し)でした。24人という大勢での写真が嬉しく、デジカメのタイマーが興奮したのか、スムーズに動かないほど(腕のせい)でした。

筑波連山を背景に記念撮影。 同左(旗には「土日農業研究会」の文字入り)
筑波連山を背景に記念撮影。
同左(旗には「土日農業研究会」の文字入り)

小屋の話に戻ります。移築プロジェクトのリーダーを務めたのは建築士の資格をもつ勝海さん。小屋の構造をデジカメに撮り、スケッチし、組み立て時に備えます。屋根などをはがし骨格剥き出しになったところで、柱や横木など木材の1本1本に分かるようにナンバリングをしました。なるほど納得です。小屋の床に座り天井を見上げ見上げスケッチをする勝海さんを武資くんが興味深気にじっと眺めていました。気になる仕事なのですね。

勝海さんが構造をスケッチ。じっと見つめる武資君。 同左。子供の好奇心は純粋で輝いてみえます。
勝海さんが構造をスケッチ。じっと見つめる武資君。
同左。子供の好奇心は純粋で輝いてみえます。

屋根の上には、若手に混じって還暦を迎えた若月さんもいます。バールと金槌で屋根のトタンやその他の添え木を外す仕事です。何事も一生懸命の若月さん、落ちないで、と気遣いながら、ボクは取り外した木材などの搬出をみんなと一緒にやりました。棟梁がいるわけでもなく、誰が命令するのでもなく、あれこれの作業が流れるように進み、夕方、小屋は骨格だけの裸になりました。一つことを心を一つにしてやる一体感をひしひしと感じないではいられませんでした。誰もがそうであったと思います。一体感があったのはもちろん、みんながこの時この場所で、この行為を通し、感性を全開にし、自己を開放していたのだと思います。裸の小屋を見上げながら、ボクは満足感で一杯でした。農作業も叱り。自己開放こそ、八郷のエスプリなのです。

小屋の屋根が着々取り外されて。 骨格だけになった屋根上の大人たち。ボクも上る!
小屋の屋根が着々取り外されて。
骨格だけになった屋根上の大人たち。ボクも上る!

サツマイモの残量少なく、06年のサツマを食べてない何人かの共同耕作者の方々へ送れなかったことが少し心残りでした。でも、サトイモを試し堀りし、大豊作であることを確認し1株あて分配し、ほかに葉物やカブなどを少量多品種お土産にし車に積み込み、店じまいするころ畑を夕闇が包み始めていました。そのとき永瀬さんに大声で呼ばれました。家に行くと、冒頭に書いた電気もきていなかった時代のこの地での苦労話をされるのでした。そして「あの小屋をみなさんに利用していただけるようになり嬉しい」と改めて口にされたのでした。長いお付き合いを重ね永瀬さんとの距離が、また一歩縮まったように感じました。11月、クラブハウスができます。われらの活動・遊びが、新たな展開をし始めます。

サツマイモを掘る子供たち 大きな実をつけた野菜を子供はどう見るのだろう?
サツマイモを掘る子供たち
大きな実をつけた野菜を子供はどう見るのだろう?

(10月18日 宮崎記す)

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