12月16日 |
06年鍬納め(畑納め) |
12月 9日 |
06年の忘年会を賑やかに |
12月
2日 |
14人で冬野菜の収穫と小屋の移築作業に精出す |
■12月
9日 06年の忘年会を賑やかに
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12月9日、土曜日。少し早い忘年会を東京赤羽の漢方レストランで開きました。会員の松下さん経営の漢方薬店に付属するレストランを、貸切って、豪勢に。夫婦・家族4人連れも含め18家族27人が参加しました。 生憎の雨でしたが、5組のメンバーは午前中畑に出て、身を清めて忘年会に出る、という涙ぐましい奮闘ぶりでした。 オープニングの挨拶で、「小さな会なのにこんなに大勢が参加し忘年会が開けて最高に嬉しい。これはひとえに週末農業を心底愛する人たちが集まり、仲間の絆を深め合おうとみんなが願っているから」と私の思いを口にしないではおられませんでした。 そして、「フォルティシモ(ff)でもフォルティシシモ(fff)でも・・・」と強調し、大音声で乾杯し、宴を始めました。時を忘れてのトーク、写真の通りです。 今年新加入の3家族は全員参加でした。でも話し始めるとみんなと旧知の仲のように。また今年1回も畑に出られなかった人も何人かいました。 でも、お互いに何のこだわりもなく。畑の楽しさを語り合い、食の情報(調理法や保存の仕方など)を交換し合い、まもなく完成するクラブハウスの夢を膨らませました。 八郷に建てた別荘をいまでは本宅にし農業専業になった宮本さんや、八郷の自然が好きで通いの専業農業を続ける木村さんが語る、農業の奥深さにじっと耳を傾けました。 千葉・白浜で別荘暮らしをしつつ、半農半漁生活を築き上げようという中本さんからは、ハウスの水耕栽培で土日メンバーとの連携を求められました。 土日をNPO法人へという注文も出ました。 途中、1分スピーチをし(タイムキーパーを置いて)、みんなが溢れる思いを花火のようにドーンと一瞬に込めスピーチしました。1年の総括でもあり、来年への宣言でもあり、とても貴重な時間に思えました。 5歳の矢作武資君も椅子の上に立ち上がり、何かしゃべる体勢にまでなりましたが、口を切れませんでした。総員注視の中、やはり難しいことだったようです。 9時半に、店内で記念撮影をしました。 エネルギーをみんなにもらいつつ、エネルギッシュにしゃべり尽くした顔とはこういう顔、という感じでしょうか。 矢作さん一家は帰りましたが、ここから第二段ロケットに点火した残りのみんなは、さらに1時間ばかり粘り、話のタネをみんな吐き出したのでした。以上が、year-end-partyですが、われわれの farm-end(畑納め)はもう少し先、あと何回かは八郷へ出動しそうです。 (12月14日 宮崎記す) |
■12月
2日 14人で冬野菜の収穫と小屋の移築作業に精出す
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12月2日。 雲一つない冬晴れの、でも風の強い1日。6家族14人が出動しました。吉田家と矢作家はいつものように一家総出。子供は計4人、小5の吉田大士郎君と小2の弟・雄大君、5才の矢作武資君と2才の妹・怜子ちゃんです。男の子3人は木登りしたり、広い畑を駆け回ったり、ピーナツの殻を剥いたりと日がな1日、好きなことをして遊び回り、怜子ちゃんも自分も一緒のつもりでお兄ちゃんたちに付いて回っていました。 畑が都会っ子の特上の遊び場となっていることが実感でき、なんとも嬉しい気分でした。 子供たちの遊び100態はムリとして、天真爛漫な遊びっぷりの一部を写真でお目にかけましょう。大人たちも畑仕事や大工仕事をつかの間の自己解放と大いに楽しみつつ、子供たちの遊びっぷりの良さに舌を巻き、あるいは懐かしまされたりしたはずです。 いや正直、ボクは子供には勝てない、と思ったものです。 『梁塵秘抄』に言っています。「遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ動(ゆる)がるれ」と。
ピーナツを昼食に焼いて食べようと、子供たちにも手伝ってもらって矢作お母さん・怜子ちゃんも一緒に殻剥きをしたとき、矢作さんだったか宮沢賢治の話を持ち出しました。すかさず大士郎君が「雨にも負けず」を頭から暗唱し始め、びっくりしました。 ボクも覚えている詩だったので安堵し、何箇所か助け舟を出してやって「さふゆふ人に私はなりたい」という結語まで辿り着きました。小2の雄大君も、宮沢賢治は教科書に出てきたよ、と話題に乗って来ました。 すると武資君も、幼稚園で暗唱させられていると「決して怒らず、いつも静かに笑っている」までを口にし、「そこまでしか言わせられないんだ」と不満げな口調で言いました。 話題が変わり、ボクが「炒りたてのピーナツはお店で売っているピーナツより5倍も10倍も旨い」と言うと、武資くんが「その上は無限だよ」だって。「凄いね、無限かあ」って返しました。 子供たちの頭や感性の柔軟なこと! この日、子供たちの新たな一面を見せ付けられた思いがしました。 このあと、子供たちは、木登りはするわ、小屋の作業で使っている脚立の4メートルの天辺までスルスル上るわ、堆肥を積んだ山のシートに飛び上がるわ、次々と遊びを見つけていました。 異年齢の子供同士のコミュニケーションの取り方も学んでいる様子が伝わって来て、満足でした。木登りはどんどん上れ上れって言ってやりました。 脚立上りだけは吉田君のおじいちゃん・昭南さんと一緒に気づき、最上段は危ないからと諭し、脚立を取り上げました。
畑の作業はこの時期、冬野菜の収穫があるのみ。 吉田千恵子さんと我が家の貞子さんが、畑の常連・若月さんの指示を得て、ブロッコリ、ハクサイ、ホウレンソウ、小松菜、ルッコラ、ネギ、ニンジン、大根、聖護院大根、ヤーコンなどを収穫し根の泥を落とし、家族分に分ける作業を1日かけてやりました。 泥落としとは流石は女性。家での処理が格段に楽ですから。作業しながら女性同士、いろんな話が弾んでいるに違いありません。
昼食(写真)はご覧の通り。写真では分からないかも知れませんが、吉田兄弟は、これも遊び心で仮設したベニヤ板の台に座って食べました。バーベキュー・セットの炭火で炒った熱熱のピーナツを、たぶんこんな食べ方は初めてだったろう子供たちが、「美味しい、美味しい」と言って食べたのは言うまでもありません。 このピーナツ、実はこの日の朝、2人目の地主・高橋さんにスーパーの袋一杯に頂戴したもの。 残りを分けて持ち帰りましたが、もしまだ食べていなかったら、子供たち! 自分でフライパンで炒ってご覧なさい、楽しいよ。
さて小屋です。 昼食もそこそこに午前午後ぶち抜きで作業をしました。 この日、入り口のドアと小屋の裏側に窓を取り付けるためサッシをはめる枠作りから始め、屋根のトタン張りと四周の壁のトタン張りを大車輪でやりました。若手の勝海棟梁、吉田信彦さん、矢作さん、それに60才代グループの若月さん、大友さん、吉田昭南さん、宮崎が屋根の上と下に分かれ、見事な呼吸で、作業を進めました。夕暮れ前までそれらの作業を終了、小屋らしくなってきたのをみんなで喜び合いました。あと室内に床を張り、囲炉裏を切り、内装を施せばクラブハウスの出来上がり。囲炉裏に天井から自在鉤を吊るし、魚を炙り、旨酒を飲む日ももうすぐです。次の土曜日の夜は東京で忘年会です。「昼間は畑に出よう」と何人かが呼びかけあって、夕闇の中を帰途に着いたのでした。 (12月 5日 宮崎記す) |
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