8月31日/
ここまでついに来たか・・・
◆<来ぬ人を いたはり聞かず 百日紅>
『来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ』
8月31日/
ここまでついに来たか・・・
◆<来ぬ人を いたはり聞かず 百日紅>
『来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ』
8月30日/
・藤原公経。定家の義弟。後鳥羽院には疎まれたが、承久の変以後は、
栄耀を極め、晩年は出家して西園寺に隠棲した(詳解百人一首)。
◆<花さそふ 風よ急かすな 老いたれば >
『花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり』
8月29日/
・法性寺関白忠通の子。伝教大師開山の比叡に12歳で入山、14歳で出家。
・生涯4度、天台座主を勤めた。史書『愚管抄』を著す(詳解百人一首)。
◆<おほけなく 共存欲せし 比叡の僧>
◆<おほけなく 等しく共にと 大僧正>
『おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみぞめの袖』
8月28日
◆<み吉野の 森蕭条と 風立ちぬ>
『み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり』
8月27日/
・いわずと知れた源実朝。頼朝の子。鎌倉幕府三代将軍。
・早くから藤原定家に師事、歌の才があった。
◆<世の中は 大凪なれど 常ならむ>
◆<世の中は 疾風怒涛 極まれり>
『世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも』
8月26日/
・秀歌の誉たかい、「沖の石の讃岐」と呼ばれたよし(詳解 百人一首)
◆<わが袖は 涙の色も 香も秘めて>
『わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし』
8月25日/
・和歌所寄人(よりゅうど)となる。『新古今集』編纂を推進。
◆<きりぎりす 日を紡ぎ鳴く 声枯らし>
『きりぎりす鳴くや霜夜のさくしろに 衣かたしきひとりかも寝む』
8月24日
◆<見せばやな こころの焔 風に舞ふ>
『見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色はかはらじ』
・後白河法皇の第一皇女
8月23日
・後白河天皇の第三皇女。「新古今集」の代表的女流歌人。
◆<玉の緒よ 生きとし生きて なほ新た>
『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする』
8月22日/
・皇嘉門院は、法性寺関白忠通の娘、崇徳院(77)の皇后。
・別当は平安時代以降、親王家・摂関家などの政所(まんどころ)の長官。
・歌合の歌題は「旅宿逢恋」。遊女の心情を詠んだ歌(「詳解百人一首」)
◆<難波江の 情理深き 芦かなし>
◆<難波江の 芦かなしくも ひとよかな>
『難波江の 芦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてやひわたるべき』