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謡曲「蝉丸」

12月12日

◆<能蝉丸 逢うも悲し 別れなお >

◎百日行、やっと辿り着いたか。やったぁ。「蝉丸」、じっくり読み謡い、眺め回し味わい尽くして、書こう、詠もう!!「百人一首」に収められた10番目の歌「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の作者・蝉丸--。百日行の最後とは、感慨深い。

◎当曲は、もちろん実話ではない。蝉丸の出生に関しては、醍醐天皇の皇子だかも分からず、「詳解小倉百人一首では、生没年不詳と記されているだけで、それ以上の記載はない。曲の内容は概略、以下の通りである。

▼延喜帝(醍醐天皇:885ー930年)の第四皇子・蝉丸の宮は、生まれつき盲目であった。廷臣の清貫(きよつら)は蝉丸を逢坂山に捨てよとの宣旨を受け、蝉丸を逢坂山に連れて来る。清貫は嘆くが、蝉丸に後の世を思う帝の”悲”だと諭される。そして蝉丸の髪を下し出家させ、蓑、笠、杖を渡して別れる。蝉丸は琵琶を胸に抱いて、転んで泣いた。▼ときどき蝉丸の様子を見に来ていた博雅の三位(はくがのさんみ)は、蝉丸のために雨露をしのぐ藁屋を作ってやっていた。▼延喜帝の第三子・逆髪(さかがみ)は皇女に生まれながら、逆様に生い立つ髪を持ち、狂人となり都を出てさ迷っていた。▼逆髪は逢坂山に着き、藁屋よりもれる琵琶の音を耳にし、弟の蝉丸だと気づき藁屋に入り、二人は手と手を取り喜び合った。▼夜通し、蝉丸の爪弾く琵琶の音が藁屋に響いた。しかしいつまでも一緒には居れないと逆髪は涙ながらに去っていき、蝉丸は藁屋の軒に佇んで「いつでもまた訪ねて来て下さい」と幽かな声で別れを告げたのだった。