月別アーカイブ: 2021年11月

謡曲「半蔀」(はじとみ)

12月1日/

◆<半蔀の 奥にほの見ゆ 美人(ひと)の夢>

・京都紫野の雲林院に住む僧が、ひと夏かけた安居(あんご)の修行を終わろうとして、毎日供えてきた花の供養を行っていた。そこへ黄昏時に女が現れ一本の白い花を供えた。僧がそれは如何なる花かと尋ねると、女は夕顔の花だと答える。続けて僧が女の名を尋ねると、名乗らなくともそのうちに分かるだろうと言い、五條辺りに住んでいるとことを明かして花の陰に消えてしまった。

・(間狂言が入る)僧は里の者から、光源氏と夕顔の君の恋物語を聞き、先程の女の言葉を頼りに五條を訪ねる。そこに昔のままの佇まいで夕顔の花が咲くうらぶれた家があった。僧が菩提を弔おうとすると、草の半蔀を上げて夕顔(霊)が姿を現わし、光源氏との恋を語り舞を舞った。そして僧に重ねて弔いを頼み、夜が明けないうちにと半蔀の中へ戻って行った。すべては僧の夢の出来事だったのである。


・(注)冒頭の詞章「ひと夏かけた安居」とは・・・夏安居(げあんご)のことを言う。九十日間籠もる座禅行である。

・(解説)ネット「the-Noh/com」によると・・・<夕顔は、光源氏の恋人のひとりです。京の五条あたりでふと目にとまった、身分もわからない、夕顔の花のように可憐なこの女性に、源氏はいたく心引かれ、情熱的に愛します。しかし、それも束の間、連れ出した先で、夕顔は物の怪に取り殺され、短い恋は終わりを告げてしまうのです>。

謡曲「放下僧」(ほうかそう)

11月30日/

◆放下僧 こきりこ奏で 父に会う >

・下野国の牧野左衛門の子、小次郎は相模国の利根信俊に争論の末に討たれた父の敵を討つと思い定めている。利根は大勢なので、幼少時より出家している兄に助けを求める。しかし兄は出家の身だからと慎重を期す構え。そこで小次郎は親の敵を討たないのは不孝だと兄に迫り、二人は同意し共に敵討ちへ出立した。いかにして利根に近づくか・・・当時流行っていた放下(ほうか)の格好をすることにした。

・利根は夢見が悪いからと瀬戸の三島への参詣に向かう。そこで出会った異形の放下と会い名を聞くと、浮雲・流水だとと言う。この二人こそ小次郎と兄だったのだ。利根は二人がう団扇や弓を持っている理由を聞き禅問答をする。兄弟は団扇と弓を使った芸を見せつつ利根の隙を窺い、油断した機をとらえ兄弟で利根を討った。長年の恨みを晴らし、親の敵を討った名を末代に残した。

・(注)放下とは・・・中世から近世にかけて行われた、田楽の流れをくむ大道芸の一つ。「こきりこ」という楽器(曲中では筑子、と書かれている)を奏で俗謡をうたい舞を舞った。僧形をした放下僧と俗体の放下師があるとされる。

謡曲「小鍛治」

11月29日/

◆<相槌 打ち鍛え合ふ 小鍛冶かな>

・一条天皇(980〜1011)の命を受け勅使の橘道成は、名高い刀匠の三條小鍛冶宗近(さんじょうのこかじむねちか)のもとを訪れ、剣を打つよう命じる。宗近は、自分と同等の力量の”相鎚”がいないので打てないと辞退する。しかし聞き入れられず、宗近は氏神の稲荷明神に助けを求め参詣すると、不思議な少年に声をかけられる。少年は剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊の物語を語り、相鎚を約束し稲荷山に消えて行った。

・家に帰り宗近は鍛冶壇に上り礼拝する。すると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れ「相鎚を勤める」と告げる。少年は稲荷明神の化身だったのだ。明神の相鎚を得て宗近は見事に剣を鍛え上げる。こうして表には「小鍛冶宗近」の銘、裏には「小狐」の銘という二つ銘の名剣「小狐丸」が出来上がった。明神は小狐丸を勅使に捧げた後、雲に乗って東山稲荷の峯に帰って行った。。

謡曲「通小町」(かよいこまち)

11月28日/

◆<通小町 百千万 尋の思慕>

・謡い込み謡い込み詞章の1言1言を、そして全体を理解しないといけないと教えらる好個の曲でしょう。読書百篇、意自ずから通ずです! ネット「銕仙会 能楽事典」より、以下をご参考に。曲の解説がとても分かりやすい! 

◆登場人物

シテ深草少将の亡霊
ツレ女  じつは小野小町の亡霊
ワキ夏安居の僧

◆場所

【1~4】

 京都北郊 八瀬(やせ)の里  〈現在の京都市左京区八瀬〉

【5~8】

 京都北郊 市原野(いちはらの)  〈現在の京都市左京区静市市原町〉

概要

京都北郊 八瀬の山里で修行する僧(ワキ)のもとを毎日訪れ、木の実を捧げていた一人の女(ツレ)。不思議に思った僧は名を尋ねるが、女は木の実の歌を謡って誤魔化し、正体を明かすことを躊躇う。しかしやがて、女は自らを市原野に住む者の霊だと告げると、回向を頼みつつ姿を消す。実は彼女は、小野小町の亡魂であった。

僧が市原野で弔っていると、小町の霊(ツレ)が現れ、回向に感謝する。そこへ現れた、深草少将の亡霊(シテ)。小町への恋慕の果てに絶命し、今も小町の成仏を妨げていた少将。彼は懺悔として、小町のもとへ百夜通い続けた様子を語り、祝言の盃を目前にした九十九夜目の感慨を思い出す。その時、酒は仏の戒めだと気づいた少将。懺悔の中で持戒の念を起こし、罪障を滅することの叶った彼は、遂には小町と共に成仏してゆくのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

京都の北郊 八瀬の地。この山里で夏の定住修行の日々を過ごす、一人の僧(ワキ)がいた。市街地からは程隔たり、ひっそりと静まり返った、この山あいの地。そんな幽閑の境で修行にいそしむ彼のもとへは、一人の女が毎日歩みを運びつつ、日々の暮らしを支えていた。名を名乗ることもなく、忽然と現れては食料の木の実や燃料の小枝を捧げて去ってゆく女。そんな彼女を不思議に思いつつ、僧は日々の暮らしを送っていた。

2 ツレが登場します。

今日もまたやって来た、例の女(ツレ)。この八瀬から山一つ隔てた市原野の地に住むという彼女は、かの清貧の修行者と仏縁を結ぶべく、こうして足を運んでいたのだった。「宮廷に仕える女性たちには、袖に芳しい薫き物の香。それに引きかえ、同じ“たきもの”とは言いながら、私が手にするのは竈の火を焚く小枝の“焚き物”。世にある上臈の身とは似ても似つかぬ、今のわが身の悲しいこと――」。

3 ツレはワキのもとを訪れ、木の実づくしの謡を謡います。

僧のもとを訪れた女。意を決した僧は、今日こそ彼女の名を尋ねようとする。ところが、彼女は“この身”の名を尋ねるのかと念を押すと、“木(こ)の実”の名を謡に謡って戯れだし、僧の問いかけを躱してしまうのだった。『拾い集めた、木の実の数々。風を受けて転がる落椎は車のすがた、人麿の家を彩っていたのは柿の実。そのほか栗や梅・桃・梨、椎や柑子に至るまで。花橘の香りには、昔のことが偲ばれて…』。

4 ツレは、自らの正体を仄めかして姿を消します。

謡い終えた彼女へ、改めて名を尋ねる僧。重ねての問いかけに、彼女はついに、自らの正体を口にする。「昔の名を明かすのも、恥ずかしいこと。私こそ小野…、いや、おのれの名は申しますまい。どうか、市原野に住むこの私の、後世を弔って下さいませ――」 そう言い遺すと、女は姿を消すのだった。

5 ワキは市原野を訪れ、小町の霊を弔います。

驚く僧。彼は、一つの故事を思い出す。いにしえ市原野を通ったある人の耳に、芒の中から聞こえてきた声。『目が痛い、目が痛い』と訴えかけるその声の主は、小野小町の髑髏であった。風に揺れる芒が髑髏の目の穴を貫き、その苦しみに苛まれていた小町の亡魂。…その昔物語に、僧は気づく。さては先刻の女こそ、小町の幽霊だったのか。彼は小町を弔うべく、市原野へと向かってゆく。

6 ツレが再登場し、続いてシテが登場します。

やがて、経を手向ける僧の前に現れた小町の霊(ツレ)。小町は回向を喜び、戒を受けて救われたいと願う。しかしその時、その願いを妨げる男の声が、背後から聞こえてきた。「戒を授けてはなりません。二人の時ですら悲しみ多きこの冥界に、私ひとりを取り遺そうというのか…」 僧のもとへ駆け寄ろうとする小町の体に縋りつき、彼女を苦患の巷に引き留めようとする男(シテ)。小町がこの仕打ちに涙すれば、男もまた、そんなわが行いの浅ましさを嘆く。彼こそ、小町を慕い続けて絶命した、深草少将の亡霊であった。

7 シテは、小町のもとへ通い続けた様子を再現します(〔立廻リ〕)。

死してなお苦しみ続ける二人。二人は僧に促され、生前の罪業を懺悔しはじめる。

――小町を思慕する少将に示された、“百夜通い続ければ契りを結ぼう”との条件。少将はその言葉に喜ぶが、それはもとより偽りの約束であった。通いはじめた少将へ、重ねて試練を課す小町。人目を憚るようにとの言葉に、少将は車にも乗らず供も連れず、蓑笠姿で夜の道をひた歩む。雪降る夜には袖に積もった雪を払い、雨の夜には漆黒の闇を恐れつつ。たまさかに晴れた夜空の下にも、彼の心の中だけは、涙の雨が降り続けた…。

8 シテは懺悔の中で持戒の心を起こし、ツレとともに成仏してゆきます。(終)

心に去来する様々な思いに苦しみつつも、遂に九十九夜目を迎えた少将。祝言の盃を挙げるのももはや目前。彼は装いを改め、晴れやかな心で向かってゆく。――そう語る彼の心には、今また、“あの日”の思いが蘇ってきた。

そのとき、彼は気づく。祝言とはいえ酒は仏の戒め、懺悔した身には似合わぬ品。少将の心にはじめて萌したその持戒の一念は、彼を数々の罪の呪縛から解き放ってゆく。

――こうして、少将は小町とともに、ついに成仏を遂げたのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2019年09月11日)

謡曲「清経」

11月27日/

◆<能清経 海聞こし召すや 夫婦愛>

・ネット「the-Noh.com」より

(あらすじ)

平家一門が都落ちした後、都でひっそり暮らしていた平清経の妻のもとへ、九州から、家臣の淡津三郎(あわづのさぶろう)が訪ねて来ます。三郎は、清経が、豊前国柳が浦〔北九州市門司区の海岸、山口県彦島の対岸〕の沖合で入水したという悲報をもってやって来たのです。形見の品に、清経の遺髪を手渡された妻は、再会の約束を果たさなかった夫を恨み、悲嘆にくれます。そして、悲しみが増すからと、遺髪を宇佐八幡宮〔現大分県北部の宇佐市〕に返納してしまいます。

しかし、夫への想いは募り、せめて夢で会えたらと願う妻の夢枕に、清経の霊が鎧姿で現れました。もはや今生では逢うことができないふたり。再会を喜ぶものの、妻は再会の約束を果たさなかった夫を責め、夫は遺髪を返納してしまった妻の薄情を恨み、互いを恨んでは涙します。やがて、清経の霊は、死に至るまでの様子を語りながら見せ、はかなく、苦しみの続く現世よりは極楽往生を願おうと入水したことを示し、さらに死後の修羅道の惨状を現します。そして最後に、念仏によって救われるのでした。

(みどころ)
世阿弥が出家する以前の自信作のひとつで、現代でも修羅能の代表的な一曲です。亡霊のシテが妻の夢に現れるという設定ですが、前シテが後シテの化身という設定の複式夢幻能とは異質の、現在能的な作風です。

世阿弥は、その著『風姿花伝』や『三道』で、修羅能の作り方として、源平の名将を主人公に、物語を元のままに作ること、終曲部に合戦の場面を置くこと、などを説いています。しかしながら、平家の公達とはいえ、入水による死を選んだ清経は、上記の定型的な修羅能の主人公のイメージからは離れています。都落ちした平家一門への喪失感と絶望感に苛まれた清経は、信仰による究極の救いを求めます。自ら死を選んだ清経の心情は、回想のかたちで語られます。シテの、この心象風景と、実際の情景とを織り交ぜた、クセからキリにかけての舞の部分が一番の見どころといえるでしょう。張りつめた緊張感のなか、地謡、囃子とシテの舞とが、お互いに、これら一連の情景を描写し合う様は圧巻です。

謡曲「熊坂」

11月26日/

◆<能熊坂 隠れ得ぬ悪 隠れる善>

▼都の旅僧が東国修行へ出る。その途中、美濃国・青野が原にやってくると、一人の僧に呼びかけられる。僧は旅僧に「今日はある人の命日なので、その人を弔って欲しい」と頼む。▼誰を弔えばいいのか明らかにしないので旅僧は不審に思うが経を唱え回向する。▼夜になり持仏堂に入ると、仏の絵像や木像は無く、大薙刀や鉄の棒、多くの兵具が置かれている。▼旅僧が訳を聞くと僧が答え、この辺りに山賊や夜盗が出るので、人々を助けるために備えていると明かす。▼僧が寝室に入って行く。すると僧の姿は消え庵室も草叢となってしまい、旅僧は不思議がる。

▼(ここで間狂言が入る)。旅僧は土地の者と出会い、以前にこの辺りで悪行を為した者がいないか尋ね、熊坂長範のことを教えられる。

▼明け方になり旅僧は、僧自身が熊坂長範であることを直接聞いて知り、悪行の有様を語るよう促す。▼熊坂の霊が語るには、黄金を商う三條の吉次信高がこのあたりを通った際、多くの屈強の盗賊達と一緒に襲った、と。▼しかし吉次に同行していた牛若 [後の源義経] に斬り伏せられたと、戦いの一部始終をこと細かに語り、最後は牛若に斬られてしまったーーと悔しがった。▼語り終えた熊坂は、再び旅僧に弔いを頼んで消えて行った。

◎熊坂長範を扱った現在能には「烏帽子折」があり、こちらを「現在熊坂」とも呼ぶのに対して、夢幻能の本作は「幽霊熊坂」と別称されることもある。(この項、ネット「the-Noh.comより)

謡曲「遊行柳」

11月25/

◆<遊行柳 人見て見られ 風に立つ>

▼諸国遊行の聖 が、一遍上人の教えを六十余州に弘めようと従僧たちを伴い奥州白河関にやって来る。夕暮れて宿を探す一行の前に一人の老人が現れ道案内をする。▼昔、遊行上人が通ったと言いながら、老人は遊行の聖らを道ならぬ古道に導き、森の脇の川岸に生える名木「朽木柳」の下へ連れて行く。▼歌人・西行上人もこの柳の下に立ち寄り一首を詠んだと話すと、柳の蔭に姿を消してしまった。

▼夜、聖が「朽木の柳が我に言葉をかける」などと言い、一同で念仏を唱える。そこへ柳の木の下から白髪の髪を乱した烏帽子・狩衣姿の老人=柳の精=が現れ、自分が道案内をした本人だと言う。▼柳の精は聖の念仏に感謝しつつ「仏の教えがなかったら、非情無心の我ら草木は救われることはない。極楽浄土に咲く蓮の臺にも縁がない」と言って喜びの舞を舞う。▼さても、柳の徳は多い。清水寺の滝、楊柳観音の佇まい、大宮人の柳の庭での蹴鞠があり、源氏物語の柏木の恋も蹴鞠に由縁があった・・・。▼年を経て老いた柳の精は、今や足元もよろよろとなったと暇乞いをして、去って行った。

◎ネット「銕仙会 能楽事典」は<みどころ>を以下のように解説しています。

 本作の作者・観世信光は他に〈紅葉狩〉や〈船弁慶〉を作ったことでも知られています。彼の活躍した戦国時代、能を楽しむ階層も変化し、幽玄で趣ふかい能よりも華やかでスペクタクルの能のほうがもてはやされるようになりましたが、その時期に活躍していた信光の作品にも、そういった曲趣の作品が多くなりました。しかし信光晩年の作品である本作はそういったショー的な作風ではなく、世阿弥以来の幽玄を基調とする作品で、老境にあった信光の心情が反映されているのかもしれません。本作の、老木の精が老人の姿となって現れ、閑雅な舞を舞うという趣向は、世阿弥の〈西行桜〉に強い影響を受けて作られています。
 柳といえば、「道のべの朽木の柳春くればあはれ昔と忍ばれぞする」という歌がありますが、昔の華やかな日々、源氏物語に登場する柏木が女三宮に恋するきっかけともなった宮中での蹴鞠のことなどを思い出し、年老い枯淡の境地に達した身ながら昔を偲んで幽玄な舞を舞うのが、本作のみどころとなっています。柳にまつわる故実を語ってゆく〔クセ〕の中には、鞠を蹴る型(「暮れに数ある沓の音」)や飼い猫の紐を引く型(「手飼の虎の引き綱も」)などの写実的な型もあり、閑寂な曲趣の中にも華を添えています。しかし一方で、この柳の精による舞は、念仏を授けられ、救済されることが決定した老木の精が、その念仏を授けてくれた遊行上人に対して見せる感謝の舞でもありました。本作のワキともなっている遊行上人とは、今も神奈川県藤沢市にのこる清浄光寺(遊行寺)の住職のことで、一遍上人の後継者として、阿弥陀仏の救済を証明するお札を配る「賦算(ふさん)」をしつつ全国を旅してまわっていました。本作では、ほんらい心をもたず、それゆえ成仏することもない植物の精が、念仏によって救われることが描かれています。後シテが登場する場面で「いたづらに朽木の柳時を得て、今ぞ御法に合竹の」と謡われますが、人跡絶えた古道で、人知れず朽ち果てる運命にあった老柳の精が、念仏の力によって救われることとなった喜びが、本作では描かれています。昔を偲びつつ、いたずらに朽ち果てる時を待っていた老木の精。戦国時代、能の創作が終わりを迎えようとする中で到達した、閑雅な老いの世界をお楽しみ下さい。(文:中野顕正)

謡曲「安達原」

11月24日/

◆<安達原 庵で紡ぐ 鬼伝説>

▼那智東光坊の阿闍梨・祐慶を名乗る山伏は供を従え諸国行脚をする。▼奥州安達原に着くと日が暮れ、火の光の洩れる庵があり一夜の宿を乞う。住人の老女は断るが、一行を憐んで泊めてやる。▼一行は屋内にある見慣れぬ道具に気づく。老女は、それは枠桛輪わくかせわと言い、身分の賤しい女が使う糸車だと教える。▼山伏が使うところを見せてくれと頼むので、老女は恥じながら糸を繰って見せた。そして己の浮世の明け暮れに思いを馳せた。

▼さても、糸と言えば [光源氏] の日蔭の糸の冠、加茂の御生(みあれ)に飾る [葵祭] の糸毛の車。春の盛りの糸桜、秋の月夜の糸薄(すすき)と華やかな糸は数多ある。▼さりながら、老女は自分の人生は長くつれないもので、泣き明かしていると嘆いた。▼ややあって「宿僧達に申し候」と老女。「夜寒となった。焚火をして差し上げたい。上の山へ行き木を切ってくるので、帰るまで閨(ねや)の内は決して見ないで」と言って出かけた。

▼そう言われて見たくなるのが人間 の性。山伏の従者が閨を覗いたら、人の死骸が山のように積み重なっていた、と言う。山伏祐慶は、ここは安達原の黒塚に籠る鬼の住家だったかと驚き、一行は一目散に逃げだした。▼後ろから鬼の正体を現わし鬼女が迫ってきた。約束を破られて怒りの焔に胸焦がし、一口に喰ってしまおうと。▼鬼女と山伏達は激しく戦う。しかし鬼女はやがて山伏の法力によって祈り伏せられ、たちまちのうちに弱り果てた。黒塚に隠れ棲んでいたが、身が露わになってしまい、この姿はあさましく恥ずかしいと叫びながら夜嵐の音に紛れて消え失せた。

◎平安時代以来、「安達原には鬼が棲んでいる」という伝説が語り継がれているといいます。『拾遺和歌集』(平安時代に成立)には次の歌があると。<陸奥みちのくの安達が原の黒塚に 鬼こもれりと言ふはまことか>

謡曲「花筐」(はながたみ)

11月23日/

◆<花筐 ゆかしき形見 天の川>

◆<現なれ ゆかしき形見 花筐>

・越前国味真野に応神天皇の子孫である男大迹(おおあとべ)皇子が住んでいた。

・皇子は武烈天皇より皇位を譲られ(継体天皇450?〜531?)急遽都へ旅立った。

・継体帝は使者をして当地で寵愛した照日の前に、手紙と愛用品の花筐を届けた。

・照日の前は喜び、帝の即位を祝しつつ突然の別れを悲しんで自分の里に帰った。

・大和国玉穂の都に遷都した継体帝は秋の良き日に、官人を引き連れ紅葉見物に。

・そこに照日と侍女が・・・。照日は帝への思慕が募り狂女となり都を目指していた。

・狂女照日が帝の前に飛び出す。官人が押し止め、侍女の持つ花筐を叩き落とす。

・照日はそれを咎め「君愛用の花籠を打ち落とすとは自分より狂っている」と言う。

・官人は帝の宣旨を受け照日に対し、帝の前で面白く狂って舞い遊ぶよう告げる。

・照日は喜びの舞を舞い、漢の武帝と李夫人の悲恋を物語り帝への恋心を匂わす。

帝は花籠が自分の愛用品だったと確認し、照日の狂気が止めば側に呼ぶと伝える。

・照日は帝に感激し正気に戻る。かくして二人は玉穂の都へ一緒に帰って行った。

・爾後、花筐の名を留め置き、愛しい人の愛用品を形見(かたみ)と呼ぶようになる。

・(注1)味真野は今の福井県越前市味真野町辺り。玉穂は奈良県桜井市池之内辺り。

・(注2)花筐は、はながたみ、と読む。 花籠のこと。

・(注3)男大迹は、おおあとべ、と読み、大迹部 とも書く。

謡曲「松虫」

11月22日/

◆<友と人生 酒と松虫が 綾を成し>

・摂津国 阿倍野の市。市の酒売りの所へ大勢で現れ酒宴をする若い男らがいた。

・酒売りはどんな者達か不審がっている。松虫の鳴く秋の寒い朝に、男らが来た。

・酒売りは、白楽天が”酒功賛”を作り琴・詩・酒を愛で合う友を持った心境でいた。

・「又かの人がきた」と酒売りは喜び、「今日は酒を堪能し早く帰らないで」と頼む。

・温め酒を飲みつつかの人(男)は言う。「秋は千年も限りなく松虫の音も尽きない→

・壁生草(いつまでぐさ)の何時までも変わらぬ友こそ、この市で買った宝だ」と。

・酒売りは「今の『松虫の音に友を偲ぶ』との言葉には何か謂れがあるか」と聞く。

・男が語る。「昔、阿倍野の原を2人の男が通りかかり、1人が松虫の声が面白いと→

・聴きに行き帰って来ない。心配してもう1人が探しに行くと草の上で死んでいた→

・死ぬときは一緒にと思っていたのに、何ということかと泣き悲しんだ・・・」と。

・さらに言う。「友を偲んでいたことが世に漏れ悲しい。今は亡霊の身である」と。

・古歌があるーー。「秋の野に人まつ虫の声すなり 我かと行きていざとむらはん」。

・この古歌に例えて、男はそう思ってくれる人々がいれば有難いと言って消えた。

  ※ここで「間狂言」が入る(この項、ネット『銕仙会 能楽事典』を参考)。

〇そこへ酒売りの常連客がやってきた。酒売りは客に「松虫の音に友を偲ぶ」故事に

 ついて聞きたいと言い、客は二人の男の物語を語って聞かせる。酒売りが先刻の

 不思議な男の話をすると、客はその者こそ昔の男の霊であると言い、男を弔って

 やるよう言い残し帰って行った。

・松風寒い原で酒売りが男のため弔いをしていると、男が現れて弔いを感謝する。

・弔う人も弔わる人も同じ難波人・・・・・男は変わらぬ契りの友を思って懐かしんだ。

・酒を酌み交わし男は喜悦の舞を舞う。松虫の声を聞きつつ友を待ち詠をなして。

・明け方、難波の鐘が鳴った。男の霊は「さらばよ友人」と言い残し消えて行った。

・(注1)ここに登場する松虫は今の鈴虫。松虫の「まつ」は人を「待つ」との掛詞。

・(注2)「秋の野に…」の歌は、『古今和歌集』に収載。

・3連目の「白楽天」に関しては、ネットに多くの以下の記述がある。ご参考に。

 <和漢朗詠集> 
  「唐太子賓客白楽天 亦嗜酒作酒功賛以継之」
  読 唐の太子の賓客白楽天また酒を嗜んで 
    酒功賛を作って以てこれに継ぐ
  訳 唐の太子賓客たる白楽天もまた酒好きで、
    酒功賛を作ってそのあとにつぐのです。