12月21日
◆<山積みの ハムソーセージら 手招きす>
12月21日
◆<山積みの ハムソーセージら 手招きす>
12月20日
◆<正義漢 ちょっぴり悲し 映画会>
・アラン・ラッドの「シェーン」。”カムガック・シェーン」の一言が耳に残る。
・あのラストシーン。何度見てもいい。ビクター・ヤングのあのテーマ曲と共に。
・町内会のナイトシネマの会。暮れのせわしい時期・・・欲しいのはやはりドラマ。
12月20日
◆<冬枯れを 一人で背負ひ 柚子熟れる>
◆<>
12月19日
◆<元気です こう生きてますと 三百枚>
12月18日
◆<二年の 忘年ばなし 渦巻けり>
・新宿の酒処「北海道」。個室のテーブルに4人。一席おきに着席。
・ジンギスカンに熱燗のお酒。談論風発し、100の話から滋養を得た。
・会議や仕事はオンラインで出来るが、交流はやはり顔合わせが基本だな。
12月17日
◆<ラーメン海苔 ポワロの髭や まろまろと>
・仕事一段落し、近くの「丸源」へ。2か月ぶりか、客5割か。
旨かった。賑わい戻りつつあるようす、良かったね、丸源さん。
◆<>
12月12日
◆<能蝉丸 逢うも悲し 別れなお >
◎百日行、やっと辿り着いたか。やったぁ。「蝉丸」、じっくり読み謡い、眺め回し味わい尽くして、書こう、詠もう!!「百人一首」に収められた10番目の歌「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の作者・蝉丸--。百日行の最後とは、感慨深い。
◎当曲は、もちろん実話ではない。蝉丸の出生に関しては、醍醐天皇の皇子だかも分からず、「詳解小倉百人一首では、生没年不詳と記されているだけで、それ以上の記載はない。曲の内容は概略、以下の通りである。
▼延喜帝(醍醐天皇:885ー930年)の第四皇子・蝉丸の宮は、生まれつき盲目であった。廷臣の清貫(きよつら)は蝉丸を逢坂山に捨てよとの宣旨を受け、蝉丸を逢坂山に連れて来る。清貫は嘆くが、蝉丸に後の世を思う帝の”悲”だと諭される。そして蝉丸の髪を下し出家させ、蓑、笠、杖を渡して別れる。蝉丸は琵琶を胸に抱いて、転んで泣いた。▼ときどき蝉丸の様子を見に来ていた博雅の三位(はくがのさんみ)は、蝉丸のために雨露をしのぐ藁屋を作ってやっていた。▼延喜帝の第三子・逆髪(さかがみ)は皇女に生まれながら、逆様に生い立つ髪を持ち、狂人となり都を出てさ迷っていた。▼逆髪は逢坂山に着き、藁屋よりもれる琵琶の音を耳にし、弟の蝉丸だと気づき藁屋に入り、二人は手と手を取り喜び合った。▼夜通し、蝉丸の爪弾く琵琶の音が藁屋に響いた。しかしいつまでも一緒には居れないと逆髪は涙ながらに去っていき、蝉丸は藁屋の軒に佇んで「いつでもまた訪ねて来て下さい」と幽かな声で別れを告げたのだった。
12月11日/
◆<猩々と 酒注ぎ交わし 温もらん >
◎百番集の中で、もっとも短い曲目です。中国の伝説で、酒が主題。分かりやすく目出度い謡です。ネット「the-Noh.com」の解説をそのまま「みどころ」も含めて記載します。<猩猩>とは何ぞや? 最後に「広辞苑」の解説を書きます。
以下は、ネット「the-Noh.com」より
中国のかね金山(きんざん)※の麓、揚子(ようず)の里に、高風(こうふう)という大変親孝行の男が住んでいました。ある晩のこと、高風は、揚子の市でお酒を売れば、富み栄えることができるという夢を見ます。夢のお告げに従って、お酒の商売をしたところ、高風はだんだんとお金持ちになっていきました。
高風が店を出す市では、不思議なことがありました。いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいたのですが、いくら酒を飲んでも顔色の変わることがありません。高風が不思議に思い、名を尋ねると海中に棲む猩々だと名乗りました。
その日、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、猩々が現われるのを待っていました。そこへ赤い顔の猩々が現われます。猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞います。そして心の素直な高風を称え、今までの酒のお礼として、酌めども尽きない酒の泉が湧く壷を贈った上で、酔いのままに臥します。それは高風の夢の中での出来事でしたが、酒壷はそのまま残り、高風の家は長く栄えたといいます。まことにめでたいことでした。
※かね金山:中国江蘇省の揚子江沿岸の山。中国に「きんざん」と発音する山には金山と径山があり、区別するために前者を「かねきんざん」、後者を「こみちきんざん」と呼んだ。
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一曲が祝言の趣を持った曲です。「乱(みだれ)」または「猩々乱(しょうじょうみだれ)」の小書(こがき)※※がついて、曲中でシテが舞う中之舞を、乱(みだれ)という特殊な舞に変えて演じることが多々あります。この場合、番組上では「猩々」ではなく「乱」または「猩々乱」と記されます。「乱」「猩々乱」は披き物の一つで、特別な修練が必要とされます。このほかにも、酒壷を出したり、大勢の猩々が登場したりする、面白い小書もあります。
曲の内容はシンプルで、ストーリーを追いかけることより、祝賀、慶賀の雰囲気を現すことが主眼とされます。真っ赤な顔のチャーミングな怪物、猩々の喜びの舞を余すところなくお楽しみください。(ここまで「the-Noh.com」より)
◎<猩猩>とは? 以下、「広辞苑」より。
① 霊長目の大形の類人猿。ボルネオ・スマトラの森林にすむ。直立したときの高さ約1・4m。毛は長く赤褐色、顔面は無毛でやや鉛色、腹部は脹れ、耳小さく上肢がいちじるしく長く、直立するとくるぶしまで達する。(中略)オランウータン。(以下略)。②中国で、想像上の怪獣。人に似て体は狗のごとく、声は小児のごとく、毛長く、その毛色は朱紅色で、面貌人に類し、よく人語を解し、酒を好む。(以下略)。
12月10日/
◆<梅の香を 帯びて巻絹 馥郁たり>
・時の帝に霊夢があり、三熊野に千疋(せんびき)の巻絹を奉納せよとの宣旨が出される。その命を受けた勅使は、全国から集まった巻絹を神前に奉納しようとするが、都からの使者だけが着かずじれている。都の使者は途中で音無天神に参り、梅の香に心を奪われ神へ祈りの和歌を手向けていたのだった。
・そしてようやく本宮に着くと、献納が遅れた科を責められ、勅使に縛り上げられる。そこへ音無天神の霊である巫女が現れ、使者が手向けた和歌によってわが苦しみは救われたのだから、縛(いましめ)を解きなさい、と勅使に命じる。勅使は賤しい身の使者が歌など詠めるはずがないと疑うが、使者が詠んだ上の句に、巫女が下の句をつけると、その確かさがわかる。使者は縄を解かれ自由の身になった。
・巫女は和歌の徳を称える舞を舞い祝詞をあげる。そして物狂いし、御幣を乱し、飛び上がり地に躍り、狂い舞った。そののち憑いていた神が上がらせられたと言って、巫女は正気に戻ったのだった。
・巻絹とは、巻いた絹の反物のこと。質のよいものが献上品とされた。
・(解説)ネット「the-Noh.com」によると・・・・この曲の舞台は紀州の山中にある熊野本宮。清々しい自然に囲まれた聖域で演じられる神秘的な物語は、見る人の心を寛がせて深く広げ、郷愁とも、懐かしさとも呼べるような不思議な感情を呼び起こすでしょう。
大切な巻絹を届けることは二の次で、和歌を詠み、神に捧げることを優先した都の使者の心がけは、神に愛でられました。一方、世の中の決まりごとに縛られる勅使は、都の使者を縛り上げたことを神にやんわりといさめられ、決まりごとや思い込みだけではない、和歌を詠める心のあり様の素晴らしさに気づかされるのです。古来日本では、和歌には神秘的な力があると思われてきました。そこにこのような曲ができた背景があるかも知れません。この和歌の徳を賛美して、巫女が舞いながら、次第に神がかりの勢いを増していく、クセから神楽、キリへと続く一連の場面は大きな見どころです。