月別アーカイブ: 2021年12月

謡曲「葛城」(かづらき)

12月9日/

◆<葛城の 神縛り上ぐや 蔦葛 >

・出羽国羽黒山の山伏一行が大和国葛城山へ来ると、激しい吹雪に会い木陰に避難する。そこへ近くに住む女が通りがかる。女は気の毒に思い一夜の宿を申し出、自分の庵に連れて行く。そして楚樹(しもと)と呼ぶ薪を焚いてやり、古歌を引きながら葛城山と楚樹にまつわる話をした。

・夜が更けるうち山伏が夜の勤行を始めると、女は自分の苦しみを取り除く祈りをして欲しいと言う。山伏は女の苦しみが人間のものでないことに気づき問いただすと、女は、自分は葛城の神であると明かす。昔、修験道の開祖・役(えん)の行者に頼まれ、修行者のための岩橋を架けようとしたが出来ず、そのため役の行者の法力により蔦葛(つたかづら)で縛られ、苦しんでいると言って消える。

・山伏一行が葛城の神を慰めようと祈る中、蔦葛に縛られた姿で葛城の女体の神が現れる。そして山伏一行に加持の祈りを頼みつつ大和舞を舞い、夜明けの光で醜い顔があらわになる前にとばかり、岩戸の中へ入って行った。

謡曲「鉢木」

12月8日/

◆<能鉢木 雪ぞなつかし 誠かな>

・[鎌倉時代中期のこと]。大雪の中、鎌倉を目指す一人の旅僧が上野国佐野に来る。旅僧は雪のため先に進めず一軒の家を尋ね、主人の妻に宿を頼む。外出から帰った主人の佐野源左衛門尉常世(さののげんざえもんのじょうつねよ)は話を聞くが、貧苦のために宿を貸せないと一度は断る。しかし妻の助言もあり、去った旅僧を追いかけ一晩家に泊めることに。寒さが厳しく、常世は大切にしていた梅と桜と松の三本の鉢の木を火にくべ、旅僧をもてなす。旅僧が常世に名前を尋ねると、名乗るほどの者ではないとしながらも名を告げる。そして親族に領地を横領され零落した身を語る。それでも鎌倉で変事あらば、誰よりも先に駆けつけるつもりだと話した。翌朝、名残を惜しみつつ旅僧は常世のもとを後にした。

・その後ある日、鎌倉の北条時頼は関東八州の武士に召集をかける。それを聞いた常世は、みすぼらしい出で立ちながら、鎌倉へと駆け参じる。時頼は部下の二階堂に、千切れた甲冑を着て、錆びた薙刀を持ち、痩せた馬を連れている武士を探し出し参上させるように申しつける。二階堂の従者がその武士、常世を見つけ出す。

・常世は参上し、家に泊めた旅僧が時頼であることに気付く。今回の召集は、時頼が常世の言葉に偽りがないかを確かめるためのものだったのだ。時頼は常世を称賛し、横領された土地を返させ、さらに三本の鉢の木のお礼に三箇の庄を与えると約束した。三箇とは「加賀に梅田」「越中に櫻井」「上野に松井田」=梅・桜・松=である。常世は喜び上野国へと帰って行った。


・(解説) ネット「the-Noh.com」による解説・・・・「鉢木」は徳川家康も好んだとされている名曲で、江戸時代以降に人気を得た四番目物です。武士道を賛美する主題や、身分の高い者がその身分を隠して諸国を行脚するというストーリーも人気となった理由でしょう。男舞も派手な斬組もありませんが、劇的な内容の能となっています。

シテの常世は英雄や武将ではなく、一人の平凡な武士です。しかし、雪を見ながら『和漢朗詠集』にある白楽天の詩に思いを馳せ、旅僧との出会いを『新古今和歌集』の藤原定家の歌に喩え、さらには粟飯を炊く場面では唐代の小説『枕中記』の故事を引き比べたりと、古典の素養を持ちつつ風情を解する人物として描かれています。常世の登場時の第一声「ああ降ったる雪かな」は能全体の出来を左右するほどの重要な一句であり、雪景色を表現しながらも、品格を保ち続けている常世の在り方を象徴している場面です。苦しい生活でありながらも鉢の木を育てていた常世ですが、作り物の大きさからも推し量れるように、当時の鉢の木は大型であり、常世が年月をかけて大切に育てていたことがわかります。こうした鉢の木を火にくべる様子からは常世の義侠心が伝わってきます。一方で、「いざ鎌倉」の語源とも言われるように、鎌倉の一大事には、他人から笑われるような格好でも一番に鎌倉に馳せ参じる心意気のある人物でもあります。質実剛健な気質を持った人物として常世は描かれています。

一方でワキの北条時頼は、鎌倉幕府の五代執権で、出家後は最明寺殿とも呼ばれていました。庶民のための政治を行った人物として知られ、変装して諸国を回ったという伝説が生まれ、史実であるかは別として、「太平記」などにその姿が描かれています。こうした伝説が「鉢木」の題材となっています。旅僧としての慎ましやかな謙虚さと、最高権力者としての格調高い貫禄、この両面を持った人物として作中では描かれています。

情緒的な大雪の上野国と軍勢ひしめき活気のある鎌倉を舞台に、常世の妻や二階堂なども加えた魅力的な人物たちの交流が、心打つドラマを作り出していきます。

謡曲「卒都婆小町」(そとわこまち)

12月7日/

◆<卒都婆小町 朽ち木も老いも 受け入れむ>

・高野山の僧一行が都への途上、摂津国阿倍野に差しかかったとき、乞食の老婆が朽木の卒都婆に腰掛けているのに気づく。僧は老婆が仏を粗末にしていると、卒都婆から立ち退くよう説教するが、老婆は含蓄ある言葉を返して言い負かしてしまう。老婆をただ者ではないと見た僧は、老婆に深く礼を尽くした。

・老婆は自信たっぷりに歌を詠み僧を感心させる。僧が老婆に名を尋ねると、老婆は「小野小町のなれの果てだ」と明かす。小町は美貌の昔を懐かしみ、老いた今を嘆き狂乱してしまう。小町には昔、自分を恋慕した深草少将の怨霊が憑りついていたのだ。深草少将は小町に恋し、小町に「百夜私のもとに通ってきたら受け入れる」と言われ、九十九夜まで通ったが、最後の一夜を残し死んでしまった。少将の無念の思いが怨念となり、老いた小町を苦しめていたのだ。小町は狂乱し少将の百夜通いの様子を再現し、やがて狂いから醒める。後世の成仏を願うことが人の道だと悟り志す。

・当曲は、老女物と呼ばれる五曲、「関寺小町」「檜垣」「姨捨」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」の一つとされる。

・卒都婆は、卒塔婆。

謡曲「女郎花」

12月6日/

◆<女郎花 二花を手折りて 胸に抱く >

・ネット「銕仙会 能楽事典」より

前シテ老人面:朝倉尉など 着流尉出立(老人の扮装)
後シテ小野頼風おののよりかぜの霊面:邯鄲男など 風折狩衣大口出立(高貴な男性の扮装)
ツレ頼風の妻の霊面:小面など 唐織着流女出立(一般的な女性の扮装)
ワキ旅の僧着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)
間狂言所の者長裃出立(庶民の扮装)

概要

旅の僧(ワキ)が男山を訪れると、女郎花が美しく咲いていた。一つ手折ろうとすると、花守の老人(前シテ)が現れ、古歌を引いて咎めるので、僧も古歌を引いて応酬し、二人は風流な歌問答を交わす。所の古歌をよく知る僧に対して、老人は特別に手折ることを許し、二人は石清水八幡宮に参詣する。その後、老人は男塚・女塚という古墳へと僧を案内すると、そこに葬られている夫婦の霊の供養を頼んで姿を消す。僧が弔っていると、小野頼風(後シテ)とその妻(ツレ)の夫婦の霊が現れ、生前夫を恨んだ妻が自殺したこと、その妻の墓から一輪の女郎花が咲いたこと、頼風も妻の後を追って自殺したことなどを明かす。頼風は、恋の妄執ゆえに死後地獄に堕ちたことを述べ、僧に救済を願うのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場し、自己紹介をします。

京都の南の郊外、男山おとこやま。石清水八幡宮の鎮座する、古くからの名所である。

その男山へとやって来た、一人の旅の僧(ワキ)。肥前国松浦出身のこの僧は、故郷の宇佐八幡宮と同一体とされる石清水八幡宮に参拝しようと、男山をのぼってゆく。

見ると、野辺には美しい女郎花の花が咲き乱れていたので、僧は一つ手折ろうとする。

2 前シテがワキに声を掛けつつ登場し、二人は言葉を交わします。

そのとき、一人の老人(前シテ)が僧に声を掛けた。「その花を折ってはならぬ。夫婦の変わらぬ愛を契るという花。ましてこれは男山に咲く女郎花…。手折ってはなりませぬ。」

老人は、この辺りの花守であった。花を手折ろうとする僧と、手折らせまいとする老人。二人は古歌を引きつつ、なおもこの花をめぐって言葉を交わす。「…このお坊様は、この地にちなむ古歌をよくご存じだ。それに免じて、一つ手折ることを許しましょうぞ。」

3 シテはワキを石清水八幡宮に案内します。

老人は、この男山の上に住む者であった。彼は僧を石清水八幡宮へと案内する。

参道を流れる放生川ほうじょうがわには、放生会ほうじょうえで放された魚たちが悠々と泳ぎまわり、八幡宮の繁栄ぶりを表している。ちょうど今日が、その放生会の日。月の澄んだ光が男山を照らし、山々の紅葉も美しく照り映える。霊験あらたかな、神の聖域。

4 シテはワキを男塚・女塚へと案内し、自らの正体を仄めかして消え失せます(中入)。

参詣を終えたのち、老人は僧を、山の麓にある男塚・女塚へと案内する。

「男山の女郎花というのも、この塚にまつわる故事。この二つの塚には、とある夫婦が葬られている。女は都の人。男はこの男山に住む、小野頼風という人物。昔語りは憚られるが、そうはいっても、せっかくお坊様に出逢えたこの機会。是非とも弔って欲しい。実は、かく申す私こそ…」 そう語ると、老人は夢のように消えてしまったのだった。

5 間狂言がワキに物語りをし、退場します。

そこへ、男山に住む男(間狂言)が現れ、僧の尋ねにこたえて男山のいわれを語る。先刻の老人こそ小野頼風の霊であったと確信した僧は、供養のため、ここに留まることにした。

6 ワキが弔っていると、後シテ・ツレが現れ、ワキに昔物語を語り始めます。

僧が弔っていると、二つの人影がおぼろけに現れた。「私達こそ、その昔の女郎花の夫婦。お弔いの有り難さよ…」 二人は、小野頼風(後シテ)とその妻(ツレ)の幽霊であった。

妻は、その昔の出来事を語り始める。「都に住んでいた私は、頼風と契りを交わしていましたが、少し障りがあって頼風が来なくなったのを心変わりと思い込み、都をさまよい出て、この放生川に身を投げたのです…。」

7 シテ・ツレは物語を続けます。

頼風は続ける。「それを聞いた私は驚き騒ぎ、急いでやって来て見ると、そこにあったのは冷たくなった彼女の姿…。泣く泣く亡骸を取り上げ、この山の麓に埋葬したところ、その墓に、一輪の女郎花が咲きました。わが妻の生まれ変わりかと思えば慕わしく、立ち寄ろうとしましたが、私を恨む心ゆえか、近づく私を避けるように、風に靡くのです…。」

『古今集』に書き遺された「女郎花のくねる」の真意。今明かされる、悲しい昔の物語。

8 シテはなおも述懐を続けます。

――私を避ける、女郎花の花。それを見たとき、私は、亡くなった彼女の無念を悟りました。彼女が身を投げ、水の泡と消えたのも、全ては私ゆえのこと。そこで私は彼女の後を追い、同じくこの川に身を投げたのです…。

同じく埋葬された頼風。こうして、妻の墓は女塚、頼風の墓は男塚と呼ばれたのであった。

9 シテは、執心の〔カケリ〕を舞い、救済を願いつつ消えてゆき、この能が終わります。

「ああ、この世の恋しいこと…。恋の妄執ゆえに死んだ私は、その執心ゆえに地獄に堕ちて苦しむ身となりました。抑えることのできぬ自らの心が、この身を苦しめてゆく…」

頼風夫婦の夢。それも女郎花が咲くのと同じ、たった一時のこと。極楽の花のうてなを願いつつ、夫婦の霊は消えていったのだった。

みどころ

本作は、『古今和歌集』およびその中世における注釈書に基づいて作られた能です。
紀貫之きのつらゆきによって書かれた『古今和歌集』の「仮名序」という序文には、次のような一節が登場します。

松虫の音に友を偲び、高砂・住吉すみのえの松も相生あひをひのやうに覚え、男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねるにも、歌を言ひてぞ慰めける。

この一節は、人々が折に触れ和歌を詠んでは心を慰めていたことを、さまざまな古歌の詠まれたシチュエーションを例示(「松虫の…」「高砂住吉の…」「男山の…」「女郎花の…」)することで示したものとなっています。ところが、この文意は中世頃になるとよく分からなくなってしまったようであり、この「松虫の…」「高砂・住吉の…」「男山の…」などの故事が何を指すものなのかも分からなくなってしまったようです。そういった事情から、これらに対応するお話が新たに作られてゆき、「『松虫の音に友を偲び』とはこのような故事なのだ、『高砂・住吉の松も相生のやうに覚え』というのはこのようなお話なのだ」という風に、『古今和歌集』仮名序の注釈という形でさまざまな物語が成立してゆきました。「松虫の音に友を偲び」にまつわる物語は能〈松虫〉の、また「高砂・住吉の松も相生のやうに覚え」にまつわる物語は能〈高砂〉の、それぞれの典拠となっています。

そして、本作の上記「6」~「8」の場面で語られる故事もまた、この『古今和歌集』仮名序の「男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねるにも」という一節に対する注釈の中に登場する、中世の物語となっています。すなわち、和歌の聖典ともいうべき『古今和歌集』の秘話を舞台化したものが、本作となっているのです。

本作のように、恋仲である男女の霊が現れ、生前の二人の関係を語り、恋の妄執によって死後苦しんでいることを告げるという能には、他に〈船橋〉 〈錦木〉などがあります。この〈船橋〉や〈錦木〉では、後シテ(男の霊)は黒頭くろがしらえというボサボサの仮髪をかぶり、縷水衣よれみずごろもという装束を身につけ、いかにも妄執を抱いた亡霊という扮装で登場しますが、これに対し本作では、黒垂くろたれという長髪の仮髪をかぶり、その上に風折かざおり烏帽子をつけ、狩衣かりぎぬという装束を身にまとって登場します。それゆえ、亡霊という印象のつよい〈船橋〉や〈錦木〉と比べ、本作の後シテは風雅な印象を与えるものとなっています。

愛しあう二人のすれちがいから起こった悲劇が、野辺に咲いた一輪の女郎花に託され、風雅な男性の幽霊によって語られる…。恋の妄執を描きつつも、それを可憐な花のイメージとして昇華させた、情趣ある作品となっています。

(文:中野顕正)

謡曲「鐵輪」(かなわ)

12月5日/

◆<祈祷師も 鉄輪の業火 鎮め得ず>

・ある夜、貴船(きぶね)神社(京都市左京区鞍馬貴船町)の社人に”お告げ”があった。丑の刻(午前2時頃)参りをする都の女に霊夢にあった神託を伝えよ、と。真夜中、女が現れる。女は自分を捨てて後妻を娶った夫に、報いを受けさせるため、遠い道を幾晩も貴船神社に詣でていたのだ。社人は女に、赤い衣を着て顔に丹を塗り、三つの脚に火を点けた鉄輪(五徳)を頭に載せ、怒る心を持つなら、たちまち鬼神となると神託を告げた。女とやり取りするうちに怖くなった社人は逃げ出したが、女が神託を夢想するや女の気色が変わり髪が逆立った。雷雨の中、女は恨みを思い知らせてやると言い捨て離れ去った。

・女の元夫、下京辺りに住む男が連夜の悪夢に悩み、有名な陰陽師、安倍晴明を訪ねる。晴明は、先妻の呪いにより汝の命は今夜尽きると占う。男の懇願に応じて、晴明は彼の家に祈祷棚を設け、夫婦の身代わりの人形(形代)を載せ、呪いを肩代わりさせようと祈祷した。そこへ脚に火を点けた鉄輪を頭に載き鬼となった先妻が現れる。 鬼女は捨てられた恨みを述べ、後妻の形代の髪を打ち据え、男の形代に襲いかかる。しかし、神通力は弱まり、「時節を待つ」と言って姿を消した。

・(解説)ネット「the-Noh.com」によると・・・女の恨み、嫉妬心の恐ろしさを、禍々しい鬼の姿で表現する能です。丑の刻参りでかけられた恨みの呪いを祈祷ではね返す、呪術の力を示す話とも言えます。しかし嫉妬の鬼の前では、稀代の陰陽師、安倍晴明も影が薄いようです。鬼女は撃退されますが、一時力を失っただけのようで、いつ機会をうかがい現れるか知れません。力強い陰陽師の存在感もかすむほどの、捨てられた女の凄まじい恨み。それを緩急鋭い謡や囃子と、なまなましい型で伝えます。貴船神社は、京都市中心部から北へ外れた鞍馬の山にあります。町中に住んでいただろう女が、通うには大変な距離で、それだけでも異常です。女の恨みのほどがわかります。

謡曲「井筒」

12月4日/

◆<能井筒 井戸水覗 くや 愛深し>

・諸国を旅する僧が初瀬参りの途中、在原業平(ありわらのなりひら)建立と伝えられる大和国の在原寺に立ち寄った。僧が在原業平と、妻である紀有常(きのありつね)の息女夫婦の冥福を祈る。毎朝のこと、そこへ仏にたむける花水を持った里女が現れる。僧は里女に如何なる人かと問うと、業平と有常の娘の恋物語を語る。幼い頃、井戸の水に姿を映して遊んだ2人は、成人して歌を詠み交わして結ばれた。里女は自分が筒井筒と呼ばれた有常の娘であると告げて、古塚の蔭に消えた。

・夜も更け僧が仮寝をしていると、夢に井筒の女の霊が業平の形見の冠と直衣(のうし)を身に付けて現れる。業平を恋い慕いながら舞い、井戸の水に自らの姿を映し業平の面影を見るのだった。やがて在原寺の鐘が鳴り夜が明けると、井筒の女は姿を消し、僧も夢から覚めた。

・(注)世阿弥作。作者が「上花也」〔最高級の作品〕と自賛する夢幻能の傑作とされる。(ネット「the-Noh.com」より)。

・(解説)伊勢物語の第二十三段「筒井筒」を軸とし、ここに登場する男女を、在原業平と紀有常の娘と解釈しています。待つ女である井筒の女(=有恒の娘)が、業平の形見を着て井戸に身を映し、昔を回想するという幻想的な能で、すすきをつけた井戸の作り物が、秋の寂寥感を際立たせます。(同上サイトより)

謡曲「小督」(こごう)

12月3日/

◆<能小督 琴の音ゆかし 誰ぞ弾く>

・[平安時代、平家の権勢絶大なる頃のこと]・・・・・高倉院の寵愛を受けていた小督局(こごうのつぼね)は、高倉院の妻・中宮を憚って(中宮徳子は平清盛の娘)、身を隠してしまう。高倉院は深く嘆き小督の行方が心配で仕方がない。小督が嵯峨野に隠棲していることを知った高倉院は、臣下の源仲国を召し出し小督の行方を探すよう命じる。それは折しも八月十五夜(旧暦)の日であった。仲国は殿上(宮廷)での御遊の折々に小督の琴に合わせて笛を吹いたことがあり、小督の琴の音を聴き分けることができたのだ。仲国は高倉院から下賜された馬を駆り、嵯峨野へ出かけ琴の音を訪ねて回った。

・なかなか探せ出せなかったが、法輪寺辺りで琴の音を耳にする。それは小督が、帝と別れたことを嘆き、思い出を懐かしんで弾く「想夫恋」という曲だった。小督の琴の音だと確信した仲国はその家に入り案内を乞う。小督はいったん断るが、勅命であり、仲国が会うまで帰らない決意であると思い対面する。仲国は小督に高倉院の親書を渡す。小督は自分を探そうとしてくれた高倉院へ感謝し、院への手紙を仲国に渡す。そして酒宴を催した。仲国は男舞を舞い、やがて酒宴が終わると、仲国は小督に見送られ馬に乗って都へ帰って行った。

謡曲「三輪」

12月2日/

◆<三輪山の 杉に神やどる  衣着て>

・大和国三輪の山蔭に玄賓(げんぴん)という僧都が住んでいた。その玄賓を、樒(しきみ)を持ち閼伽)(あか)の水を汲んで毎日訪ねて来る女人がいた。玄賓は不審がり名を尋ねようと思っていると、今日も訪ね来た。秋の夜寒に女人は玄賓に衣を一枚賜りたいと頼む。玄賓はたやすいことと衣を与えた。女人は喜び、帰り際に玄賓が問うと、「三輪の里に住んでいる、杉立てる門を目印にお越しあれ」と言い残し姿を消した。

・さても三輪明神に参詣した里の男が、ご神木の杉に玄賓の衣が掛かっているのを見つけて知らせた。玄賓が杉の所へ来て確かめると、自分の衣が杉の木に掛かっており歌が縫い付けられていた。そのとき杉の木陰から美しい声がして、女体の三輪の明神が現れた。くだんの女人は明神の化身だったのだ。明神は玄賓に向かい、「神も衆生を救うために迷い、人と同じに苦しみを持っている、罪を救って欲しい」と言う。そして三輪の里に伝わる神と人との夫婦の昔語を語り、さらに天の岩戸の神話を語って神楽を舞う。やがて夜が明けると、僧は今まで見た夢から覚め、明神の姿も消えていた。

・大和国三輪は、今の奈良県桜井市。三輪山は三輪明神の鎮まる古来より人々の信仰を集まる霊地である。

・「樒」は常緑の毒を持つ木である。「閼伽の水」とは仏前に供える供養の水。功徳の水である。