11月13日/
◆<妻の砧 打つ音万里を 往き還れ>
・九州蘆屋の某は訴訟のため上京して3年経ち、妻の待つ故郷へ侍女夕霧を使わす。
・妻はつれない夫を嘆く。里人が打つ砧の音が聞こえ来て侍女は砧を妻に与える。
・<唐土の蘇武が打った砧の音が万里の先の妻子へ届いた>故事を妻は思って➡
・思いを込め砧を打ったが、「夫は今年の暮れにも帰れない」と侍女に明かされる。
・妻は病に伏し命を落とす。後に帰郷した夫がそれを知り慙愧の思いで妻を弔う。
・妻の亡霊が打ちひしがれた様で夫への愛憎を語り、夫の読経の功徳で成仏する。
・砧とは・・・衣板(きぬいた)の略。木づちで布を打つときに用いる木や石の台。
打つこともいう。布を柔らかくし目を詰めツヤを出すためのもの。
・蘇武につきネット(コトバンク)を引きます。
蘇武は中国、前漢の名臣。字(あざな)は子卿(しけい)。匈奴(きょうど)遠征に功をたてた父健の保任(父の官職により子、弟が官につくこと)により郎となる。武帝のときの紀元前100年、中郎将として、漢に拘留された匈奴の使者の返還のため匈奴に赴いた。匈奴は彼を屈服させようとしたが、これを拒否。そのため穴倉に幽閉され飲食も断たれ、雪と旃毛(せんもう)(毛織物の毛)で飢えをしのぎ、さらに北海の地に雄羊放牧のために移されると、野ネズミ、草の実を食べる生活を強いられ辛苦を重ねた。のち、匈奴に降(くだ)った李陵(りりょう)が降伏を説得したが聞き入れず、昭帝(在位前87~前74)のとき、両国和親によりやっと帰国が実現した。その間、19年。帰国後、典属国を拝命、関内侯を賜った。死後、麒麟(きりん)閣にその像が描かれ、彼の節を貫き通した行動が後世の模範とされた