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謡曲「楊貴妃」

11月19日/

◆<楊貴妃の 連理の枝の 空高く>

・唐の玄宗皇帝は安禄山の乱で亡くなった楊貴妃の魂魄の在り処を探せと命じる。

・命を受け仙術士である「方士」は蓬莱宮に至り、そこ人に楊貴妃の居場所を聞く。

・方士が、教えられた楊貴妃の住まう太真殿へ行くと、宮殿から楊貴妃が現れる。

・方士は帝の嘆きぶりを話して聞かせ、邂逅を報告する証明はないか申し出る。

・楊貴妃はこれに応えて、髪に挿していた釵(かんざし)を方士に渡そうとする。

・方士はありふれた物では不足、玄宗と楊貴妃との間で交わした言葉を要求する。

・7月7日の夜、二人で交わした「比翼連理」という睦言があると楊貴妃が答える。

・空にあれば翼を並べる鳥に地上にあれば枝を連ねて離れない木に!という謂い。

・会者定離とはいえ、楊貴妃は玄宗との愛に生きた昔を懐かしみつつ舞を舞った。

・釵を携え方士の霊は都へ去り、楊貴妃はただ独り蓬莱の臺に座り込むのだった。

[楊貴妃と長恨歌についてもっと知るために:ネットthe-Noh.comから、以下を引きます]
主人公は中国・唐代に絶世の美女として名をはせた、楊貴妃。物語の舞台は、蓬莱宮。中国の伝説にある仙界です。楊貴妃が死後にその地に住んでおり、楊貴妃を愛した玄宗皇帝の命を受けた方士、すなわち仙術を駆使する者が、彼女を探し求めて訪問するところから、能は始まります。亡霊・精霊と僧が現世で交錯する、よくある三番目物の夢幻能とは設定も大きく違う、異色の能です。唐の詩人、白楽天が、玄宗と楊貴妃の悲運の愛の物語を詠んだ「長恨歌」をベースにしており、能はその後半部分のストーリーを脚色しています。この曲を味わうには、楊貴妃の人物像や彼女が死んだ背景を知ることが助けになりますので、「長恨歌」の前半部分をもとにしながら、ここでその内容を紹介します。

楊貴妃(719〜756)は、蜀の楊家に生まれ、玉環と名付けられました。幼時に父母を亡くした彼女は叔父の養子となりました。その後、生来の美貌から、玄宗(685〜762:唐の第9代皇帝)の十八子、寿王の李瑁(り・ぼう)の妃になりました。ところが、その美しさに心を奪われた玄宗は、楊貴妃を自分の後宮に入れてしまいます。玄宗が楊貴妃を寵愛したことから、彼女の親族も唐の要職を担うようになります。その一人が、楊貴妃の従兄弟、楊国忠(?〜756)でした。楊国忠は宰相として権勢を振るいますが、やがて、唐の軍人で楊貴妃の養子となった安禄山(705〜757)と激しく対立します。その結果、安禄山は唐に対し安史の乱を起こします。安禄山の攻勢を受け、玄宗は首都長安から逃げ、楊貴妃や楊国忠も同行しました。しかし、馬嵬(ばがい)という場所に着くと、皇帝警護の親衛隊が、乱の原因を作ったと咎めて楊国忠を殺し、楊貴妃の死も要求します。そしてついに、楊貴妃は玄宗の命により縊死させられてしまいます。長恨歌には、乱が鎮まった後、皇帝は深い悲しみのうちに、道士(方士)に楊貴妃の魂魄の行方を探させたと書かれ、そこから能の物語につながっていきます。

それにしてもなぜ、楊貴妃は仙人の世界にいたのでしょうか。楊貴妃は、女道士として、いわば出家した後に玄宗の後宮に入りました。露骨に、息子の妃を奪い取ったかたちにしないためだったと考えられます。彼女の道士名は「太真」であり、能で「太真殿」が楊貴妃の宮として示されたことの背景でもあります。