月別アーカイブ: 2021年10月

謡曲「杜若」

10月31日

◆<杜若 五つのかなに 「つま」のある>

・旅僧が三河の沢辺で杜若を愛でる。女がここは八橋という杜若の名所と教える。

・女は、在原業平が「かきつばた」の五文字を句の上に置き旅の心を詠んだと語る。

・「らころも(唐衣)(着)つつ馴れにしま(妻)しあればるばる(遥々)きぬる➡

・たび(旅)をしぞ思ふ」・・・。日が暮れ、女は僧に宿を貸すと自分の庵に案内する。

・女はそこで装いを替え美しい唐衣姿で、※透額の冠を戴いた雅びな姿で現れる。

・唐衣は和歌に詠まれた高子の后の物、冠は業平の物で、我は杜若の精と告げる。

・杜若の精は言う。業平は歌舞の菩薩の化身、和歌の言葉は法身説法の妙文だと。

・精は”昔男”の”業平となり舞を舞う。「伊勢物語」に綴られた歌が曲目を雅に彩る。

・夜明けとともに、杜若の精は”草木国土悉成仏”と悟りの境地を得て姿を消した。

・(注)※ 透額は、すきびたいと読む。額際に透かし模様の入ったもの、の意味。

謡曲「雲林院」

10月30日

◆<雲林院 折るや折らずや 花の枝>

・『伊勢物語』(在原業平作とされる)に想を得た謡曲目。二段構えの霊夢物語。

・摂津・蘆屋の里の公光は幼き頃より「伊勢物語」を愛読、霊夢を見て都へ向かう。

・京の雲林院で公光が桜花を一枝折ると、一人の老人が現れ古歌を引いて咎める。

・公光も古歌を引いて応え風流な花問答となり、公光が先日見た夢の内容を語る。

・ 夢は➡紅の袴の女性と束帯姿の男性が「伊勢物語」の本を手に花蔭に佇んでいた、

・➡近くの翁に聞き二人は「伊勢物語」の在原業平と二条后と分かったというもの。

・そこで夢が覚めたと言う公光。老人は自分が業平の化身だと仄めかして消えた。

・公光は木陰で一夜を取る。月光の下、業平の霊が艶やかな”まめ男”姿で現れる。
・業平は「伊勢物語」の秘話を語る。➡あの夜、弘徽殿こうきでんに佇んでおられた二条の后。

・➡美しい后と共に内裏から忍ぶ恋路へ出た。花散る芥川を渡り迷い行った、と。

・夜遊の舞楽が映える中、夜が明け始め業平の姿は次第に消え公光の夢も覚めた。

・冒頭の桜談義・・・老人は「花に憂きは嵐というが、枝を折るのは嵐以下」と咎める。

・公光の反論・・・「古い歌に<花を見ぬ人のため一枝手折って行く>とありますぞ」

・「花を慕うのは人情でしょう」。桜談義が歌論議で進み、『伊勢物語』に通じる。

謡曲「正尊」(しょうぞん)

10月29日

◆<正尊の 文の力も 心根も>

・史実とされる演目。源義経は兄頼朝に鎌倉入りを拒まれ京堀川の邸で謹慎した。

・頼朝配下の土佐坊正尊が鎌倉から上洛。義経は弁慶に正尊を連れて来させる。

・討ちに来たかと問い詰める義経に対し、正尊は熊野参詣の途中だと弁明する。

・正尊は咄嗟に作った起請文を読む。義経は偽りと知り名文に感心した風を装う。

・そして宴席を設け歓待した。静御前の舞も披露したあと正尊を宿所へ帰した。

弁慶が手下に調べさせると、正尊は武器や馬を揃え義経襲撃の準備中であった。

・義経は弁慶や家来とともに待ち構え、正尊の軍を迎え討って正尊を捕縛した。

・「正尊」の起請文、「安宅」の勧進帳、「木曾」の願書は「三読物」と言われる。

謡曲「邯鄲」

10月28日/

◆<邯鄲の 夢も語らず 人細る>

・中国・三国時代の蜀の話である。日々何もせず茫然と暮らす蘆生なる男がいた。

・男は楚の羊飛山に名僧がいると聞き旅に出て途中、邯鄲という町で宿を取った。

・蘆生は宿主に勧められ、「邯鄲の枕」で一眠りすると、楚の皇帝の勅使が現れた。

・「瑞相」の盧生に帝位を譲りたいと言う。不審に思いつつ蘆生は玉の輿で宮殿へ。

・絢爛豪華な宮殿で夢のごとき50年が過ぎ祝宴。菊酒で長久を祈り舞が舞われた。

・春夏秋冬が目くるめく景色で現れ、やがて一切が消えて、蘆生は夢から覚めた。

・50年の栄華も一睡の夢、粟ご飯が炊ける間の一炊の夢。邯鄲の枕がそう教えた。

・この世はすべて夢のように儚い・・・「何事も一睡の夢」と蘆生は悟り帰途に就いた。

謡曲「二人静」

10月27日/

◆<二人静  苧環 をまく 縁かな >

・ 平家を討ち頼朝に追われる義経に同道した静の物語。”二人静”で舞う舞が主題。

・三吉野の勝手明神では正月7日の神事で、菜摘川から菜を摘んで神前に供えた。

・女達が菜摘みに行くと一人の女が現れ、「吉野に帰るなら」とことづけをした。

・私の罪を哀れんで一日経を書いて弔って欲しいと。そして名前は言わず消えた。

・不思議な体験を神職に話すうち菜摘女は、何かに憑かれたように顔が変わった。

・神職が聞くと「静である」と名乗る。静御前の霊が菜摘女に憑依していたのだ。

・女は精好織の袴など静が勝手明神に収めた衣装を宝蔵から取り出し舞を舞った。

・するといつの間にか静の霊も現われ、一人の女が二人になり舞を舞うのだった。

・義経と別々に逃げた静は捕えられ、頼朝に召し出され、乞われて舞を披露した。

・「しづやしづ賤の苧環繰り返し むかしを今になす由もがな」と口ずさんで。

・ 苧環 は苧(お),麻(あさ),楮(こうぞ)などから取る糸を環状に巻いたもの。植物も。

・オダマキは清楚な風情が良い。私事:薄紫の花の鉢植えを手入れ悪く枯らした。

謡曲「俊寛」

10月26日/

◆<俊寛や 遠流の島の 渡り鳥>

・平家全盛の平安末期。都の法勝寺の僧都・俊寛は薩摩の鬼界島に流されていた。

・平家打倒の陰謀罪で藤原成経、平康頼と共に。そこへ都から大赦の使者が来た。

・清盛の娘で高倉天皇の后・中宮徳子の安産祈願のため--が大赦の理由だった。

・しかし使者の巻物には成経と康頼の名のみ。俊寛の名はなく俊寛は絶望に沈む。

・帰還の船に縋る俊寛。帰洛の日を待つよう励まされる中、船影は消えて行った。

・『平家物語』に描かれた俊寛の流罪をテーマにした演目。俊寛は島で自死する。

謡曲「鶴亀」

10月25日/

◆<鶴亀の 貴賤分かたぬ 長寿の舞>

・舞台は中国。皇帝の宮殿で四季の節会の事初め=お正月の行事が執り行われる。

・皇帝が不老門で初春の日の光を叡覧すると、万民が天に響く祝賀の声を上げる。

・庭の砂は金銀の殊(たま)・・・五百重の錦、瑠璃の枢(とぼそ)、瑪瑙の階(きざはし)。

・など絢爛豪華たる宮殿で、鶴は千年・亀は万年の舞が舞われ皇帝の長寿を寿ぐ。

・皇帝も自ら舞い、殿上人が「山河草木国土豊かに」と舞う中を長生殿に還られた。

謡曲「海士」

10月24日/

◆<母海士や 龍女姿の 縁かな>  


www.the-noh.com/jp/plays/data/program_024.html

・この曲は物語の内容が複雑で難しい。上の解説が良く分かる。URLを記して下に転記させていただく。

藤原不比等[淡海公]の子、房前(ふさざき)の大臣は、亡母を追善しようと、讃岐の国[香川県]志度(しど)の浦を訪れます。

志度の浦で大臣一行は、ひとりの女の海人に出会いました。一行としばし問答した後、海人は従者から海に入って海松布(みるめ)を刈るよう頼まれ、そこから思い出したように、かつてこの浦であった出来事を語り始めます。淡海公の妹君が唐帝の后になったことから贈られた面向不背(めんこうふはい)の玉が龍宮に奪われ、それを取り返すために淡海公が身分を隠してこの浦に住んだこと、淡海公と結ばれた海人が一人の男子をもうけたこと、そして子を淡海公の世継ぎにするため、自らの命を投げ打って玉を取り返したこと……。語りつつ、玉取りの様子を真似て見せた海人は、ついに自分こそが房前の大臣の母であると名乗り、涙のうちに房前の大臣に手紙を渡し、海中に姿を消しました。

房前の大臣は手紙を開き、冥界で助けを求める母の願いを知り、志度寺にて十三回忌の追善供養を執り行います。法華経を読誦しているうちに龍女(りゅうにょ)となった母が現れ、さわやかに舞い、仏縁を得た喜びを表します。

みどころ
この作品の山場は、何と言っても海人が龍宮から珠を奪い返す様子を見せる場面でしょう。「玉の段」の名を持って特別視され、謡どころ、舞どころとして知られています。一振りの剣を持って籠宮のなかに飛び入り、八大龍王らに守られた玉塔から宝珠を取り、乳房の下を掻き切って押し込める。死人を忌避する籠宮のならいにより、周囲には悪龍も近づかない。そして命綱を引く……。子のため、使命のために自らの命を投げ出す一人の海人の気迫が、特別な謡と型を伴い、ドラマチックに表現されていくのです。この場面を見せるために、一曲ができているのではないかという印象すら覚えます。

親子の死別という、悲しい結末の重苦しさは、後場の短くテンポのよい展開で雰囲気を変えられ、最終的には明るく、仏法の功徳につながります。一曲の盛り上がりを大切にして、巧妙に練り上げられています。

謡曲「西行櫻」

10月23日

◆<西行櫻 精霊もそっと 花見する >

・都の西山の西行庵は毎年、桜の花見客で賑わったが、隠遁を好む西行は嫌った。

・従者に花見を禁止させるが客が訪れる。”仏心”で庭に入れて西行が一首を詠む。

・花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける--桜は罪だと。

・夜、西行が桜の木蔭でまどろみ夢見ると老人が現れ、西行の歌に異議を唱える。

・老人は自分は桜の精だと明かし「花は物を言わないが、桜に罪はない」と諭す。

・草木国土悉皆成仏というわけだ。そして春宵一刻値千金とばかり舞を舞った。

・時は過ぎ花影の中、春の夜が明け初めて散る花と共に桜の精は消えて行った。

謡曲「巴」

10月22日

◆<女武者 巴の愛や 鳰の海>

・都に上る木曽の僧が琵琶湖のほとり江州粟津が原で、神前に参拝する女と会う。

・粟津が原の祭神は木曽義仲だと教え供養を勧め、自分は亡者だと明かし消える。

・僧は亡者は義仲の愛人巴だと確信。夜に経を読んでいると女が武者姿で現れる。

・女は巴の霊だと言い、主君の義仲と最期を共に出来なかった恨みごとを訴える。

・義仲と共に戦った合戦、義仲の最期、己れのその後、今に至る執心を切々と・・・。

・義仲は倶利伽羅峠で平氏を撃破、後に後白河法皇と衝突し頼朝が送った源範頼と

 義経の軍により「粟津の戦い」で討たれた。義仲(1154〜1184)は頼朝とはいとこ。