謡曲「融」

11月14日/

◆<融大臣 永遠に塩竃 庭に観る >

・中秋の名月の頃、東国の旅僧が京の六条河原院辺りへ来ると老人が一人現れる。

・老人が六条河原で水を汲もうとすると僧が訝るので、老人はその謂れを語った。

・河原左大臣と呼ばれた源融が陸奥塩竃の景観を此処に移し住んだと謂われると。

・融は難波の潮を汲ませ院の庭で塩を焼いたが、後継がなく今は荒れてしまった。

・僧は(老人を慰めようと)都の名所を聞く。山々の名が挙がり二人名月を愛でる。

・老人はつい長話をしたと言って水を汲む様子を見せた後、姿を消してしまう。

・僧は、この老人こそが河原左大臣の亡霊だったのだと思い当たり、眠りにつく。

・すると融の亡霊が現れ、「我こそは融の大臣である」と名乗り遊舞の舞を舞った。

・塩竃の美しい景色が謡われる。「月宮殿の白衣の袖も三五夜中の新月の色・・・」と。

・融は時を忘れ興じ、夜明けと共に名残惜しい面影を残し月の都へ戻って行った。

・(注) ①みなもととおる、は嵯峨天皇の12皇子。源氏物語のモデルとも言われる。

②左大臣まで上るが、政争に敗れ六条河原に大邸宅を造営、風雅な余生を送った。

③「百人一首」の歌:陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに。

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