謡曲「遊行柳」

11月25/

◆<遊行柳 人見て見られ 風に立つ>

▼諸国遊行の聖 が、一遍上人の教えを六十余州に弘めようと従僧たちを伴い奥州白河関にやって来る。夕暮れて宿を探す一行の前に一人の老人が現れ道案内をする。▼昔、遊行上人が通ったと言いながら、老人は遊行の聖らを道ならぬ古道に導き、森の脇の川岸に生える名木「朽木柳」の下へ連れて行く。▼歌人・西行上人もこの柳の下に立ち寄り一首を詠んだと話すと、柳の蔭に姿を消してしまった。

▼夜、聖が「朽木の柳が我に言葉をかける」などと言い、一同で念仏を唱える。そこへ柳の木の下から白髪の髪を乱した烏帽子・狩衣姿の老人=柳の精=が現れ、自分が道案内をした本人だと言う。▼柳の精は聖の念仏に感謝しつつ「仏の教えがなかったら、非情無心の我ら草木は救われることはない。極楽浄土に咲く蓮の臺にも縁がない」と言って喜びの舞を舞う。▼さても、柳の徳は多い。清水寺の滝、楊柳観音の佇まい、大宮人の柳の庭での蹴鞠があり、源氏物語の柏木の恋も蹴鞠に由縁があった・・・。▼年を経て老いた柳の精は、今や足元もよろよろとなったと暇乞いをして、去って行った。

◎ネット「銕仙会 能楽事典」は<みどころ>を以下のように解説しています。

 本作の作者・観世信光は他に〈紅葉狩〉や〈船弁慶〉を作ったことでも知られています。彼の活躍した戦国時代、能を楽しむ階層も変化し、幽玄で趣ふかい能よりも華やかでスペクタクルの能のほうがもてはやされるようになりましたが、その時期に活躍していた信光の作品にも、そういった曲趣の作品が多くなりました。しかし信光晩年の作品である本作はそういったショー的な作風ではなく、世阿弥以来の幽玄を基調とする作品で、老境にあった信光の心情が反映されているのかもしれません。本作の、老木の精が老人の姿となって現れ、閑雅な舞を舞うという趣向は、世阿弥の〈西行桜〉に強い影響を受けて作られています。
 柳といえば、「道のべの朽木の柳春くればあはれ昔と忍ばれぞする」という歌がありますが、昔の華やかな日々、源氏物語に登場する柏木が女三宮に恋するきっかけともなった宮中での蹴鞠のことなどを思い出し、年老い枯淡の境地に達した身ながら昔を偲んで幽玄な舞を舞うのが、本作のみどころとなっています。柳にまつわる故実を語ってゆく〔クセ〕の中には、鞠を蹴る型(「暮れに数ある沓の音」)や飼い猫の紐を引く型(「手飼の虎の引き綱も」)などの写実的な型もあり、閑寂な曲趣の中にも華を添えています。しかし一方で、この柳の精による舞は、念仏を授けられ、救済されることが決定した老木の精が、その念仏を授けてくれた遊行上人に対して見せる感謝の舞でもありました。本作のワキともなっている遊行上人とは、今も神奈川県藤沢市にのこる清浄光寺(遊行寺)の住職のことで、一遍上人の後継者として、阿弥陀仏の救済を証明するお札を配る「賦算(ふさん)」をしつつ全国を旅してまわっていました。本作では、ほんらい心をもたず、それゆえ成仏することもない植物の精が、念仏によって救われることが描かれています。後シテが登場する場面で「いたづらに朽木の柳時を得て、今ぞ御法に合竹の」と謡われますが、人跡絶えた古道で、人知れず朽ち果てる運命にあった老柳の精が、念仏の力によって救われることとなった喜びが、本作では描かれています。昔を偲びつつ、いたずらに朽ち果てる時を待っていた老木の精。戦国時代、能の創作が終わりを迎えようとする中で到達した、閑雅な老いの世界をお楽しみ下さい。(文:中野顕正)

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