月別アーカイブ: 2021年11月

謡曲「雲雀山」(ひばりやま)

11月11日/

◆<雲雀山 気張り日張りの 情け山>

・奈良横佩の右大臣藤原豊成は讒言を信じ我が子中将姫を雲雀山で殺せと命じる。

・臣下は姫を殺せず山中に小屋を建て匿う。姫の乳母である侍従が一計を講じる。

・乳母は山の木々の花や草花を手折り、里に出て人に売っては金を作り姫を養う。

・豊成が雲雀山に狩に行く。乳母は目聡く目立つように振舞い臣下に花を勧める。

・御身の来し方は?と聞かれそれとなく語る。哀しい身の上の”隠れ人”がいると。

・豊成はこれが乳母の侍従だと気付き、姫への思いが募り己の間違いを懺悔する。

・乳母は豊重を小屋へ案内。親子は再会を喜び、桜咲く奈良の都へ帰って行った。

・ 横佩 はよこはぎ。豊重への讒言は何だったか? 讒言は情報時代の現代にも?

・雲雀山は一つは奈良県宇陀市の日張山とされ日張山青蓮寺がある。もう一説も。

(注①)当曲は伝説上の人物かともされる中将姫の物語。中将姫は『當麻』にも登場。

②実際の舞台では乳母は片袖姿で現れ狂乱の舞を舞う。上記のごとく「目立って」。

謡曲「千手」

11月10日/

◆<千手の琴 虜囚の琵琶と 溶け合えり>

・平重衡は源平合戦で奮戦するも捕虜に。鎌倉で頼朝家臣・狩野介宗茂預りとなる。

・頼朝は虜囚の身の重衡を哀れみ、侍女の「千手の前」を遣わし重衡を慰めていた。

・雨の日、千手は琵琶や琴を携え重衡の元へ。宗茂の手引きもあって二人は対面。

・重衡は出家を望み千手を通じ頼朝に伺いを立てていたが、意に沿えずとの返事。

・重衡はこれも父・清盛の命で南都の寺を焼打ちした罪科だろう、と悲嘆にくれた。

・重衡のため宗茂が酒宴を催す。千手は重衡に酒を勧め朗詠しいじましく振舞う。

・千手が舞を舞うと興が乗った重衡も琵琶を弾く。それに合わせ千手も琴を弾く。

・琴を枕に仮寝した短い夜も明け、勅命で重衡は都送りに。袖に涙の二人の別れ。

謡曲「蘆刈」(あしがり)

11月9日/

◆<蘆刈の 夫の思いに よしの葉を>

・摂津国の住人・日下左衛門は家が没落し落魄する。別れていた妻が夫を探す。

・妻は京の高貴の家で乳母奉公。三年経ち日下の里を訪れ里人に夫の消息を聞く。

・しかし行方は知れず。妻は従者と共に日下の里に留まって夫を探す決意をする。

・従者は浜の市で蘆を売る蘆刈の男の話を聞き出し、妻と市で待つと男が現れる。

・男は落魄を嘆きつつ蘆刈る営みの風雅を語る。葦と蘆の蘊蓄を披露したりして。

・蘆を一本、と所望した妻の元へ男は蘆を持って行くが、妻を見て小屋に隠れる。

・男は左衛門。恥ずかしくなったのだ。「生活も安定したので迎えに来た」と妻。

・夫婦は歌で心情を交し合い、左衛門は「今は包み隠すことはない」と小屋を出る。

・左衛門は烏帽子に直垂姿で和歌の徳を讃え舞を舞い、夫婦は春の都へ向かった。

・葦(よし)と蘆(あし)を「良し悪し」にかけて蘊蓄を語るなど風流溢れる一篇。

謡曲「天鼓」

11月8日/

◆<天鼓の音 貴賤分けなく 魂をうつ >

・中国・後漢時代。王伯・王母夫婦に授かった子「天鼓」は不思議な生い立ちだった。

・母が天から鼓が降り胎内に宿る夢を見て子は生まれた。鼓も天から降ってきた。

・鼓の音は絶妙との噂に帝は鼓を召し出せと命じるが、天鼓は鼓を持って隠れる。

・しかし捕まり呂水に沈められ、鼓は宮殿に運ばれ楽師が打つが、音は出ない。

・帝は父・王伯を勅使をやり宮殿へ呼ぶ。王伯は鼓が鳴らない場合を覚悟し上殿。

・王伯が我が子を思い鼓を打つと、この世のものとも思えない音色が鳴り響いた。

・帝は感動し王伯に褒美を与え、天鼓の冥福を祈る管弦講を呂水辺で行うことに。

・当日、帝が呂水に御幸。天鼓の霊が現れて懐かしい鼓を打ち喜びの舞を舞った。

・夜が明ける頃、天鼓の霊は舞の一時が現とも夢ともつかない風に消えて行った。

・天鼓は古代中国で七夕の牽牛の別称。呂水に現れた亡霊は天上人の化身のよう?

謡曲「頼政」

11月7日/

◆<庭草に 扇痕残すや 能頼政>

・南都奈良へ向かう旅僧が宇治で老人に会い名所を尋ねる。老人は平等院へ案内。

・源三位頼政がここに扇を敷き自害したと話し、自分は頼政の幽霊と言い消える。

・夜、幽霊が現れ平家に敗れた様子を語る。「高倉宮:以仁王に謀反を勧め」・・・と。

・「結果、都落ちし合戦に。奮戦空しく息子2人も討たれ平等院で自害した」・・・と。

・平等院の庭の芝には頼政が自害した際の扇の跡形が残っていた。痛わしきこと!

・幽霊は僧に頼政の霊を弔うよう頼み、「扇の芝の草の陰に帰る」と消え失せた。

・辞世の歌「埋木の花咲く事もなかりしに実のなる果はあはれなりけり」を残して。

・[注] ①源頼政は怪物鵺(ぬえ)を退治した武将として喧伝されている。

 ②頼政は和歌でも名を成した風流人でもあった由。家集『頼政集』が知られる。

・高倉宮は、たかくらのみや、以仁王は、もちひとおう、源三位は、げんさんみ。

謡曲「賀茂」

11月6日/

◆<賀茂川の 水汲む女人に 朝日射す>

・播磨国の室の明神に仕える神職が、御神体が同じと聞く京都の賀茂神社に参る。

・神職は白羽の矢の立つ祭壇に気付き、水汲みにきた里の女達にその謂れを聞く。

・女達は白羽の矢は加茂神社の御神体である教え、謂れを細かく語って聞かせた。

・「昔、賀茂の里の秦氏の女が毎日川に出て、神に手向ける水を汲んでいた」と・・・。

・「某日、一本の白羽の矢が水桶に留まり、家の軒に挿す男の子が産まれた」と・・・。

・「男子三歳の時この矢が父だと言った。矢は忽ち別雷神となり天に上った」と・・・。

・「父母子の三神が賀茂の三社に祀ってある」と言って、加茂川の水を汲み始めた。

・神職が名を聞くが名乗らず、ただ自らが神であることを明かして消え失せた。

・神職の前に末社の神が現れ神話を語り舞を舞う。御祖神(みおやのかみ)も降臨。

・美しい天女の舞を舞う。別雷神も勢いよく登場、雷雨を呼び起こし神威を示す。

やがて御祖神は糺の森へ飛び去り、別雷神は天路へ攀じ登り虚空へ上って行った。

・ 糺の森 は、ただすのもり、 別雷神 は、わけいかづち、と読む。

謡曲「盛久」

11月5日/

◆<能盛久 信心の誠に 奇跡生る >

・平家の公達平盛久は捕えられ鎌倉送り。処刑を待ち土屋三郎の館に監禁される。

・毎日観音経を読誦。処刑の時、「御経の光、眼に塞がり」斬首人の太刀が折れる。

・頼朝の御前。頼朝が「今暁不思議な霊夢を見た」と語り「汝はどうか」と尋ねる。

・盛久が 「刑戮の身、朝暮れ御経を修續すると夢に老僧が現れました」 と答える。

・「老僧が我、汝の命に代わると告げました」と。頼朝自身も「同じ夢だった」と。

・刑を免れ感極まる盛久。頼朝の命で舞を舞い酒を戴き、宴に長居は無用と退散。

謡曲「鞍馬天狗」

11月4日/

◆<鞍馬天狗  牛若を空 翔けさせる>

・鞍馬山の僧達が稚児を伴い花見をしている。山の奥に住むと言う山伏が現れる。

・近頃狼藉の者がいるからと僧らは自ら稚児共々引き揚げた。稚児が一人残った。

・哀れむ山伏に稚児が心を寄せる。稚児は源義朝の子・沙那王「牛若丸」と分かる。

・去って行った稚児はみな我が世の春の平家一門だった。山伏は牛若丸を慰めた。

・山伏は鞍馬山の大天狗だと正体を明かし、兵法を伝授すると約束し姿を消す。

・大天狗を師に、武芸に励んだ牛若丸は、木の葉天狗との立ち合いを思い留まる。

・殊勝にも「師の許しがない」。感じ入った師は「漢の張良」の故事を語り聞かせる。

・使命を終え大天狗は鞍馬山へ翔び去る。平家との戦さで必ず力になると約して。

謡曲「隅田川」

11月3日/

◆<隅田川 母子の情愛 渡したり>

・隅田川の渡し場。舟頭が最終の舟を出す間際、旅人が女物狂がくるぞと告げる。

・女は都北白河の住人。わが子を人商人に攫われ狂乱し、息子を探しに来たのだ。

・面白く狂ってみせてと言う船頭。女はある古歌を引き皆を感心させ乗船が叶う。

・古歌は「伊勢物語」中の業平の歌・・・いざ言問はん都鳥我が思う人はありやなしや。

・舟頭は一年前の今日3月15日に対岸下総の川岸で死んだ子・梅若丸の話を物語る。

・一周忌供養を営むという船頭。対岸で皆は下船するが、狂女は泣いて降りない。

・舟頭は狂女を子の塚に案内。夜の大念仏で狂女は鉦鼓を鳴らし念仏を唱え弔う。

・塚より梅若丸の亡霊が。母は抱きしめんとするが幻はすり抜け母は悲嘆の底へ。

・やがて夜が明け亡霊の姿は消え、母はただ草茫茫の塚で涙にむせぶのだった。


・「隅田川」「百万」「桜川」「班女」などの女を主人公とする作品を「狂女物」と呼ぶ。

・狂女物は子や夫に再会し正気に戻るハッピーエンド型が多いが、「隅田川」は別。

・都鳥(みやこどり)はチドリ目ミャコドリ科の鳥。般にはユリカモメを指す。

謡曲「朝長」

11月2日/

◆<朝長の 最期看取るや 美濃の宿>

・源義朝の次男・朝長は平治の乱に敗れ落ち行く途中、美濃国・青墓の宿で自害。

・嵯峨・清涼寺の僧(朝長の乳母子)は霊を弔いに青墓を訪れ、宿の女長者と邂逅。

・長者は宿を貸した縁で朝長を弔っていた。共々弔い旅僧は朝長の最期を尋ねる。

・膝を射られていた朝長は決意の自決。父は悲嘆に沈んだと。長者の宿での夜・・・。

・旅僧が、朝長が尊んだ観音懺法せんぼうで弔い始めると、朝長の亡霊が現れ弔いを謝す。

・世は無常・・・朝長は修羅を示す甲冑姿で己の最期の様を語り、弔いを頼み消える。

・『平治物語』が題材。朝長の死の他は創作とされる。平治の乱は1159(平治元)年。


・「朝長」「実盛」「頼政」の3作は”三修羅”。本作は前シテと後シテが別人の点に注目。